略歴

 1956(昭和31)年1月11日(水) 葛飾区立石の親戚に行っていて、産気づき、葛飾の日赤病院で生まれた

   記録によると、午前1時1分と「1」並びになっている。

   父;一男、母;シヅヱの長男。

   住所(本籍地)足立区柳原1-32-8

 1961(昭和36)年4月 私立聖和幼稚園入園(足立区柳原1-26-1に現存)

   担任は若くて美人の都築先生

 19624月 足立区立柳原小学校入学 1年4組 担任は高島(加藤)超子先生(三年まで)

       四年生からは板井啓修先生。

   現在は廃校となり、跡地には足立区立桜堤中学校が建つ

 1968(昭和43)年4月 足立区立第二中学校入学 1年D組 担任は大島先生 3年次伊藤先生

   現在は、第十六中学校と統合され、柳原小学校跡地に桜堤中学校となっている

   1969年 2年次に生徒会役員となり、NHKで放送された赤い羽根の募金に感動し募金を試みるが、金銭を持っての登校を禁止される。募金活動ができないため、募金を用意するために北千住駅前の夜店で所場代を集めるやくざを襲撃し奪う。その後やくざに校内に乗り込まれ約2ヶ月間家出する。

 1971(昭和46)年4月 東京都立江北高等学校入学 1年B組 担任は駒場秀夫先生

   ・中学時代は2年2学期の国語のテスト以外すべて満点であったにもかかわらず、親の意向で評定はオール3とされた。その内申書で合格可能な高校を受験したのだが、思想信条により内申書を低くされたために希望校に合格できなかったとする「内申書裁判」に、違和感を持ちつつも支援する。

   ・2年次に返還される前に沖縄を自分の目で見ようと密航し、見つかって強制送還され、無期停学となる。

 1973(昭和48)年8月 夏休みの北海道旅行中に失恋し、立ち直れないままその後長い期間を過ごす。

 1974(昭和49)年4月 東洋大学文学部教育学科入学 学籍番号60番

   2年次に高3時の失恋が誤解によるものだったことを知るが後の祭りで何ともならなかった。

  1976(昭和51)年 漢字能力検定一級合格

         文学界文学賞に応募

 1976年7月25日祖母テル87歳で自死。両親が共稼ぎで、幼い頃からばあちゃん子だったため大ショックを受ける。

 1978(昭和53)年秋 教育系大学院に)合格するも、担当教授の逝去により行く場所がなくなる。

   出版社数社を受験希望するが、門前払い。中に一社,後日試験を実施すると連絡してきたところがあるが、もともと「大学の先生方が執筆する雑誌だ」として門前払いしたのに再び連絡してきたのは、学歴を考慮した結果だと判断し、「学歴に左右される教育雑誌は信頼できない」として受験を辞退する。

 1978(昭和53)年7月 昴教育研究所入所

   渋谷区神宮前の岸記念体育館の向かいにあったが、今は影も形もない

 1978年9月 町田市立本町田中学校着任(1次試験の合格通知、2次試験の実施もないまま採用される)

   ・遠距離通勤だが週末には徒歩で帰宅することが何度かあった。

   ・山﨑団地センターにあったマンモス校だが、少子化により2011(平成23)年3月に廃校

 1979(昭和54)年4月 足立区立第十五中学校着任

   現在は第三中学校と統合され、千寿青葉中学校として、第十五中学校の跡地に建つ

 1983(昭和58)年4月 荒川区立第九中学校(夜間学級)着任

 1985(昭和60)年4月 足立区立入谷中学校着任

   西伊興3丁目のアパートに転居、何かの間違いでここを本籍地に登録してしまう。戻せるものなら戻したい。

 1989年(昭和64・平成元)3月 竹の塚駅前のマンション、プルミエール201に転居

 1989年4月 葛飾区立亀有中学校着任

 1991(平成3)年10月10日、妻いつみ(角田)と入籍、翌年4月披露宴

 1992(平成4)年4月22日、長女冴理誕生

 1994(平成6)年 足立区弘道2-19-14に注文住宅を建設

 1998(平成10)年 体罰による懲戒・減給処分と示談金70万円を要求される。

   示談はしないと言い張ったが、区が勝手に示談した。示談金は不当に高額なため区が責任を持って交渉し、20万円程度とするとしつつたちまち勝手に言い値で締結した。国家賠償法により本人が返済するが、あるとき払いの長期分割でいいと言ったのに、その週のうちに全額振り込めとの指示が郵送されてきた。挙げ句に来年も是非葛飾区に勤務して欲しいと言われ、区長と参与の国会議員を区役所内で殴る。

 1999(平成11)年4月足立区立六月中学校着任   

 2003(平成15)年 現在地(西綾瀬3-33-19)に注文住宅を建設し転居

 2004(平成16)年4月足立区立伊興中学校着任

 2008(平成20)年4月足立区立鹿浜中学校着任

   現在は第八中学校と統合され、鹿浜菜の花中学校と改名して、同じ地に建つ

 2010(平成22)年4月足立区立東綾瀬中学校着任

   現在は新校舎建設中のため、駅前の仮校舎に移転中

 2013(平成25)年 娘が就職活動。

   パチンコ屋への就職を希望してくる。かつてパチンコ屋は嫌われていたが、今や地域に溶け込む活動する健全な職業だと吹き込まれてくる。職業に貴賎はないと言い張る。終日騒音の中で過ごす不健全さには希望を変えなかったが、パチンコ屋が風俗産業であると知り、たちまち就職候補から消える。

 2016(平成28)年3月 定年を迎えるが、同校で再任用される

 2017(平成29)年8月21日 澤山晋と結婚 澤山性となる

 2019(平成31・令和元)年9月 24日娘の長男(八尋)誕生

 2019(令和元)12月23日 父一男逝去 満96歳

 2021(平成33)年4月 再任用を終え、特別支援専門員として、足立区立蒲原中学校着任

 2022(令和4)年7月13日 娘の次男(千尋)誕生/

2024(令和5)年12月 開始。開始。                       現在に至る

 2027(令和5)年2月 運転免許証更新時に返納予定、車も売却し、自家用車のない生活を始める予定。

 同年3月 特別支援専門員も退職し、年金生活に入る予定。以後教育に関わる発言は一切しないつもり。ただし、その前に、このブログに反応があれば、ここの記事は続けていこうかという色気も持っている。