お盆は仏教行事か
お盆と言えばお墓参りに行くことを思い浮かべる人もいるでしょう。お墓があるのはたいていはお寺ですから、何となく仏教行事のように思い込んでいるかもしれません。しかし、最も大きな仏教組織である浄土真宗では、1970年頃まで、お盆の行事はしませんでした。お盆は仏教行事ではないからです。
日本にお盆が伝わったのは七世紀頃とされ、仏教形式でお盆の法要が最初に営まれたのは、657年の斉明天皇の時といわれます。しかし、最初は朝廷が営む供養であり、民間に伝わるのは鎌倉時代以降で、室町時代に送り火の風習が表れ、江戸時代には庶民にも広まりました。しかし、こうした歴史の遙か以前から、日本には先祖を迎える行事が年に二回、神道行事として、行われていたことが分かっています。
お釈迦様の死後の世界観
目連目連という釈迦の十大弟子の一人が、ある時、亡くなった実母の青堤女青堤女が天上界に生まれ変わっているかを確認しようと、母の居場所を天眼で確認すると、青堤女は天上界どころか餓鬼界に堕し、責め苦に遭っていました。ここは欲深い人が落ちる場所で、食べたいものも食べられず、がりがりにやせ細って飢えと渇きに苦しむ場所です。自分には優しかった母親ですが、実は息子を大事に思うあまり、他人への施しを断るごうつくばりだったのです。驚いた目連は供物供物を捧捧げたのですが、供物は炎を上げて燃え尽きてしまいます。目連は困り果て、釈迦に相談しました。すると釈迦は、一人では救済できないので、7月15日のたくさんの僧侶が集まった時に母ができなかった布施(人々に富を分け与えること)をするように教えました。その教えに従うと、たちまち母は地獄から浮かび上がり、天上界に上ったといいます。それで目連は歓喜の舞を舞いました。これが日本のお盆と盆踊りの始まりと言われています。
仏教では地獄のことが語られます。しかし、釈迦自身は、霊魂霊魂や死後の世界については何も説きませんでした。釈迦の弟子の一人にマールンクヤという人がいました。この弟子はともかく考えることが好きでした。死後の世界はあるか、霊魂とは?、宇宙の果てはどこか、といった具合に思索思索のネタは尽きません。そして、疑問に思う度にそれを釈迦に尋ねていました。しかし釈迦は何一つ答えてくれませんでした。しびれを切らしたマールンクヤは「答えて頂けないならこの教壇を去ります。」と釈迦に迫りました。すると釈迦はたとえ話でいさめました。「ここに一人の男がいて、どこかから飛んできた毒矢に刺されたとする。当然周りにいた者は、慌てて医者を呼んで治療をしてもらおうとする。しかし、その男がこう言ったとする。『抜いてはダメだ。この毒矢を抜く前に、射た人間を知りたい。色は白いのか黒いのか。年齢はいくつか。毒矢の成分は何か。その答えを得てから治療してくれ。』それではその男は、死んでしまう。マールンクが尋ねているのは同じようなばかげた問いだ。必要なことは少しでも早く毒矢を抜いて治療することだ。」というのです。「毒箭毒箭の比喩」という話ですが、ここで釈迦は、死後の世界も宇宙の果ての話も、わかりもしないことにこだわるのは、今を無駄に生きることになってしまうと仰っているのです。先の目連の話も、目連の心を穏やかにするための「方便方便(嘘)」として仰ったともいわれています。わかりもしないことより、今を大切にしろというのです。
お盆は何のためにあるのか
お盆は正月と同じように、帰ってくる先祖の魂をお迎えする時なのです。盆では7月7日頃からご先祖様を迎える準備を始めます。この日に「精霊棚精霊棚」というものを作り、そのうえに仏が戻ってくる目印となる「幟幟」を置きます。これが正月の依り代(ご先祖様に我が家を示すよりどころ)である門松にあたります。これを「棚幟棚幟」と言い、七日の夕方だったことから棚幟を七夕と書き表すようになりました。
ただしこれは先祖が年に二度帰ってくるということではありません。正月に帰ってくるのは「カミ」で、お盆に帰ってくるのは「ホトケ」です。どう違うのでしょうか。これはおもに江戸時代以降の仏教での話です。人は死ぬと肉体を失った霊的死者となります。この霊的死者は、荒れに荒れているとされます。「俺は死んでしまった。もっと生きていたかったのに。悔しい、残念だ。」というわけです。これを「荒御魂荒御魂」と呼びました。他方、「カミ」は「和御魂和御魂」と呼ばれ、穏やかに子孫を見守る存在です。この「荒御魂」を「和御魂」に鎮鎮めるのが、鎮魂鎮魂儀礼であり、初七日、二七日二七日、三七日三七日、四七日四七日(四十九日)です。一応四十九日で鎮魂儀礼鎮魂儀礼は終了し、その後魂は六道六道(地獄、餓鬼餓鬼、畜生畜生、修羅修羅、人間、天)のどこかの世界に生まれ変わるのです。しかし、日本ではその後も一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、三十三回忌、五十回忌、百回忌まで行うことになっています。
正月が、既に鎮まった「歳神歳神様」を迎えて共に過ごし、家族の幸せを願うのに対して、お盆は荒れ狂う「荒御魂」を招いて、鎮めるための行事です。お盆には、青森の「ねぶた祭」や高知の「阿波踊り」に代表される激しい動きの「踊り」が行われます。これも魂を鎮めるための所作であり、「和御魂」を迎える正月の踊りは、静かな動きの「舞」といって区別されているようです。
お盆にするのはどんなことか
「荒御魂」である精霊をお迎えし、感謝と供養を行うのがお盆です。正式には盂蘭盆会盂蘭盆会と言います。東京では7月15日前後(新の盆)に行い、その他多くの地方では8月15日前後(旧の盆)に行います。いずれも13日に迎え火で精霊をお迎え(「迎え盆」)し、16日の送り火で、浄土浄土へとお見送り(「送り盆」)し、14・15日が「中日中日」です。仏壇を清め、きれいに整えて、盆棚や盆提灯を飾り、家族や親戚が集まり、お墓参りや仏壇にお供え物をし、ご先祖様に感謝して食事を共にし、絆を深めます。
迎え火について
迎え火は、ご先祖様が迷わずに家に辿り着くための目印です。13日の夕方、家の門や玄関先に焙烙焙烙と呼ばれるお皿を置き、おがら(麻の茎)を入れて、火を点けて焚焚き、煙を天にのぽらせます。迎え火を焚いている間は合掌合掌します。また、盆提灯に灯りを点します。お盆飾りは、ご先祖様を賑やかにお迎えするためのものなので、お盆の期間中は提灯の灯明は絶やさないのが理想です。しかし、昼間や就寝後には消すことが多いようです。
お墓や仏壇の掃除
お盆は仏壇やお墓をきれいにする機会です。来客時以上にご先祖様をお迎えする場所をきれいに掃除します。その後、供花や個人が好きだった物をお供えし、お線香を焚いて合掌します。仏壇仏壇には、胡瓜胡瓜で作る馬、茄子茄子で作る牛を一組飾ります。こちらに来る際は、颯爽颯爽と走る馬に乗り、浄土へお帰りになるときはゆったりした足取りの牛に乗ってという思いを込めたものです。そのほか仏壇に供えるのは、「五供五供」と個人の好きだった食べ物や飲み物です。五供とは、香(線香)、花、灯(蝋燭蝋燭や提灯)、浄水、飲食の五つのことです。お盆詣詣りで親戚親戚等に伺う際には、菓子折や果物には「のし紙」を付けません。のし紙とは贈り物に付ける、のし、水引水引、表書きなどを添添えたものや印刷したものです。のしは、もともと「のしアワビ」のことで、生き物の殺生を連想させるため、真っ白い掛掛け紙をかけるだけにします。
なお、お金をお供えするときには不祝儀袋不祝儀袋に入れ、表書きは「御仏前」「御供物料」などとします。「結び切りの水引」には、「何度も繰り返さない」という思いが込められているのです。
送り火について
お墓参りはお盆の最終日に行います。夕方が望ましいのですが、墓苑などの施設によっては遅い時間のお詣りは遠慮するように言われることもあります。
送り火は、迎え火をした場所で行います。迎え火同様に、おがらを焚いて、ご先祖様の帰りの道しるべとします。盆提灯の場合は、お見送りした後に灯りを消します。牛に乗ってゆっくりと返るご先祖様を思い、迷わず浄土に帰れるように、心を込めてお見送りします。
お盆飾りの片付け
お盆飾りなどの片付けは、送り火が終わったすぐ後、その日のうちか翌日に行います。もともとは、仏事に使ったものは使い回しをしないのですが、最近では、盆提灯も、生の植物ではない作り物の精霊馬や蓮蓮の葉、まこもの茣蓙茣蓙なども繰り返し使うようになっています。きれいにして仕舞います。
なお、浄土真宗では、亡くなった方の魂はすぐに成仏するとされますから、お盆の行事はしません。かつては、全くしなかったのですが、近年は「歓喜会歓喜会」と呼ぶ仏様への感謝の祈りを捧げる法要を行うことがあります。
盆飾り
(浄土真宗では行わず、その他の宗派もまちまちです。)
盆提灯・・・ 家紋家紋や植物等の意匠意匠が描かれ、迎え火の役割をし ます。吊吊すタイプと置くタイプがあります。
盆棚(祭壇)・・・本来は仏壇の前に二・三段の盆棚を備えま すが、仏壇の前に小机で代用されています。
まこも・蓮の葉・・・お釈迦様がそのうえで病人を治療したとい ういわれを持つのが、真菰真菰の茣蓙茣蓙です。盆棚の上にま ずまこもの茣蓙を敷き、次に蓮の葉、そのうえに精霊 馬や季節の野菜・果物・個人の好きな物などをお供えと して置きます。
精霊馬・・・胡瓜と茄子で、馬と牛を象象ったもの。ご先祖様の 行き帰りの乗り物とされます。
ほおずき・・・ほおずきは、仏花やお供え物と並べたり、仏壇 や盆棚に張った真菰の縄に吊り下げます。
素麺・・・ご先祖様がこちらに帰る際の馬の手綱手綱とか、彼岸彼岸へ戻られる際のお土産土産をまとめる紐紐としてと
か、「細く長く幸せが続くように」と願う縁起物としてなどと言われています。
水の子・閼伽水閼伽水・・・宗派や地域によっては「水の子」を飾ることもあります。これは、さいの目に切った
胡瓜と茄子に、洗った米を混ぜ、閼伽水(蓮の葉や禊禊ぎで清めた水)を含ませた物を蓮の葉を敷
いた器に盛ったもので、ご先祖様の喉を常に潤潤すためと言われています。
麻がら・・・精霊馬の脚や箸として用いるほか、迎え火と送り火を焚くためにも使われます。迎え火・送り
火は、庭や玄関などで、ほうろく皿の上に麻がらを載せて燃やします。
執筆日 2023年7月10日(月) (Jujy10th・皐月23日)