元・体育の日

  スポーツの日

 日本では、現在10月の第2日曜日が「スポーツの日」として、国民の祝日です。1964(昭和39)年の東京オリンピックの開会式が行われた10月10日を、1966(昭和41)年6月25日に交付された「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」によって「体育の日」と決めました。その後2000(平成12)年から「ハッピーマンデー制度」が適用され、10月の第2日曜日に変更されました。さらに、2020年からは名称が「スポーツの日」に変更されたまし。国民の祝日の中で、外来語(カタカナで表記)が用いられているのはこの日だけです。ついでに付け加えると、「スポーツの日」が、年内最後の国民の祝日です。

 1964年に行われた東京オリンピックの開会式が、10月10日に行われた理由は、この日が「晴れの特異日」(晴れる確率が特に高い日)であったからだといわれてきました。屋外での開会式は、青天で行われるのが相応相応(ふさわ)しいのは言うまでもありませんが、ブルーインパルスによって大空に描かれる飛行機雲を用いた五色の五輪を描き出すイベントには、どうしても晴れ上がった空が必要でした。何としても「雨の中の開会式は避けたい」という思いが企画者には強かったのだと思われます。しかし、東京五輪開催が決まった1959(昭和34)年発行の「気象庁ハンドブック」では、10月14日と11月3日が晴れの特異日としてあげられ、10月10日はそうではありませんでした。流布流布(るふ)しているのは不正確な噂話噂話(うわさばなし)だったのです。ただ、天候に考慮したことは間違いなさそうで、気象庁の統計や専門家の意見などから、東京から台風や秋雨秋雨(あきさめ)前線が通り過ぎる頃で、晴れる確率は高く、何より土曜日に当たっていたことから、10月10日が選ばれたということのようです。今なら平日でも記念日として休日にすることは簡単かもしれません。東京オリンピック2020では、祝日を今年だけ異動して連休を作るというはちゃめちゃな運営も平気で行われたほどです。しかし、この当時は、オリンピックに合わせて休日を作るなどということは考えられず、休日に合わせてオリンピックを開催するのがせいぜいだったのです。実際には、開会式前日までぐずついた天気が続いたのですが、当日は嘘のような快晴で、当時の北出清五郎NHKアナウンサーの「世界中の青空を全部東京へ持ってきてしまったような、すばらしい秋日和でございます」という、今なお語り継がれる名言が生まれたのも、それほどまでに気持ちが高ぶった結果でしょう。言葉遣いのプロ中のプロであることには違いありませんが、晴れを期待しつつも、前日までの天候で諦めかけていた気持ちが、安堵と共に一気に開放された結果だったのではないでしょうか。しかも、ブルーインパルスによって描かれた五輪は見事なものでしたが、実はこれも、何度練習してもうまくいかず、本番で初めて成功したのだそうです。嘘のような話しではありますが、こういうこともあるのです。個人的にも、コロナ禍で卒業式が校庭で行わざるを得なくなった時に、せめてお祝いの垂れ幕を4階の光社から一斉に下げようと自作しました。数日前から大きな垂れ幕を、何百回練習落としても、風にあおられ、途中で引っかかり・・・と、一度も下まで垂れ下がることはありませんでした。本番では、絶望的でしたが、せっかく作ったのだからと、思い切って、大きな掛け軸を巻き込んだような垂れ幕を窓から立て続けに落下させました。きっと途中で引っかかって、無残な姿をさらすのだろうと思っていたのですが、予想に反して、見事に6本全部が成功しました。

 この当時のオリンピックに対しては、焼け跡から再生しつつあった日本が、国民一丸となってここまで復興を遂げたということを世界に示そうという意気込みが感じられたように思います。国民の大多数が、その成功を願い、一丸となって開催を支えた感があります。それに比べて東京五輪2020は、残念ながら汚職や不祥事が相次ぎ、国民の半数以上が開催に反対する中で行われたのとは対照的に思えます。

  もう一つの「スポーツの日」

 国民の体育に連なる行事は、戦前から開催されてきました。1924(大正13)年には、11月3日に「全国体育デー」が設置されました。この時に、第1回明治神宮大会が開催されました。1958(昭和33)年には、5月の第三日曜日に「国民体育デー」が設置されました。1961(昭和36)年には「スポーツ振興法」が制定され、10月の第一土曜日を「スポーツの日」としました。この制定により、「国民体育デー」は廃止されました。その後東京オリンピックの開催に伴い、1966(昭和41)年に10月10日の「体育の日」が制定され、「スポーツの日」も廃止されました。このように、「体育デー」「スポーツの日」「体育の日」と名称を変えながら、次々に生まれては交代するように廃止されていきました。この結果、実は「体育の日」よりも前に「スポーツの日」があったのです。「スポーツの日」は「体育の日」ができたことによって廃止されたのです。

 「体育の日」が制定された当初の目的は、「オリンピック開催を記念し、国民がスポーツや体育に親しみ、さらなる振興を図る」というものでした。それに対して、2017(平成29)年頃から、スポーツ議員連盟が「体育の日からスポーツの日に名称を変えよう」という活動を始めました。その理由は「『体育』は体を成長、発達させるための教育であり、そのための技術や知識を習得させ強化という教育的意味合いが強かったため、純粋に運動を楽しむことを表現するために世界的に使われている『スポーツ』という言葉に変更することが目的です」というものです。

 確かに「体育」と「スポーツ」にはニュアンスの違いがあります。どちらかというと「体育」には精神論が色濃くにじんでいて、困難を乗り越えることを目的としているかのようです。時には無理をしてがんばり抜く悲壮感さえ感じさせることがあります。

 「体育の日」が生まれたことによって廃止された「スポーツの日」は、「スポーツ振興法」の第五条で、「国民の間に広くスポーツについての理解と関心を深めると共に積極的にスポーツをする意欲を高揚するため、スポーツの日を設ける」とその目的が記されています。この「スポーツの日」は10月の第一土曜日とされていましたが、「国民の祝日」ではありませんでした。1964年の「体育の日」は、先に制定されていたうえに日にちも近かった「スポーツの日」があったために、「体育の日」と名付けられたようです。「スポーツの日」が廃止されて、改めて「体育の日」の名称に注目が集まり、名前の変更が課題に上ったのです。

  運動会とスポーツの日

 高校受験を控えた中学校では、運動会は春に行われることが多いのですが、秋に開催される運動会も少なくありませんでした。今ではほとんどなくなってしまいましたが、会社や地域の運動会も秋に開催されることが多く、俳句では「運動会」は秋の季語とされています。

 そんな運動会は、ヨーロッパを起源として発達しました。日本初の運動会は、1874(明治7)年に東京築地の海軍兵学寮でイギリス人英語教師の指導でおこなわれたもので、「競闘遊戯会競闘遊戯会(きようとうゆうぎかい)」という名だったと言われています。「運動会」という名称は、1883(明治16)年に東京大学が使い始めたとされています。その後、初代文部大臣の森有礼森有礼(もりありのり)が、学校教育に兵式体操を取り入れ、その成果を発表する場として運動会が奨励奨励(しようれい)されるようになり、小中学校でも盛んに行われるようになったのです。体を動かすことを楽しみ、勝ち負けにはこだわりつつも終了後には後を引かないという印象の強い「スポーツ」に比べて、「体育」には、「純粋に運動を楽しむ」こととは違ったニュアンスが強く感じられるのは、こうした歴史が関係しているのは間違いないようです。

  関連イベント

 2022年のものになりますが、おもなイベントとして 、次のようなものが開催されました。コロナ禍で中断されていたイベントも、そろそろ復活の兆しを見せ始めています。問い合わせてみましょう。

 ① 新宿スポレク2022

  大人から子供まで気軽に参加できるスポー ツ・レクリエーションの祭典です。新宿コズ ミックセンター、新宿スポーツセンター、都 立戸山公園灘で開催されます。

 ② 辰巳スポーツフェスティバル2022

  国際大会でも使 用されるスイマーの生地 が無料で利用できます。オリンピアによるデ モンストレーション、ウオーター アトラク ション、健康チェックコーナーなどすべて無料で楽しめます。

 ③ 出雲 出雲(いずも)全日本大学駅伝(島根県)

  1989年から始まった大会で、毎年スポーツの肥に開催されます。

 ④ スポーツフェスタ2022in東京体育館

  東京オリンピック2020で卓球の会場となったのを機に、卓球体験や、ランニング教室、スナッグゴ ルフ体験など、子供から大人まで楽しめるイベントが盛りだくさんです。

 ⑤ スポーツカーニバル

  足立区内の地域体育館や温水プールなどで、開催される体験型イベントです。

 その他全国各地で様々なイベントが開催されています。地域によってはスポーツセンターの利用が無 料になったり、半額になったりしています。

 夢想?杞憂?迫り来る現実?

 漫画にしても、一時絶賛された「根性物」は排斥され、現実のスポーツ界においても、「スポーツは楽しむものであって、勝利のためにひたすら悲壮感に暮れるものではない」とされ、甲子園での高校野球に象徴的なように、ピッチャーの投球の球数や登板回数も制限されるのが普通になりました。アスリートに無理をさせないことが常識となりつつあるのです。当然、今目の前にある勝負がすべてではありません。次の勝負もいずれやって来ますし、アスリート人生の先、引退後の人生も続くのです。言うまでもなく「根性」でその時の勝負を乗り越え、悲劇的な結末を迎えたアスリートも数多く存在し、不幸や悲惨さを招いていました。高校生での無理が祟って、その後の野球人生が断たれてしまうといった悲劇が少なくなかったことも確かです。

 そのうえ、失われたことに安易に郷愁を抱くべきではないでしょうが、「権堂、権堂、雨、権堂」といったような超人的な活躍を期待することは不可能となってしまうかのようです。例えば、ソフトボールの上野投手が、連投を重ね、驚異的な球数を投げ抜いたことは、美談にしてはならないのだろうか。あれはいまだ規制が及ばない、遅れたソフトボール界の亡霊や徒花のような物なのだろうか。

 何もアスリートに限ったことではなく、一般のサラリーマンにしても、会社のために家族や自分自身の人生を犠牲にして来た人が少なくありませんでした。「猛烈社員」と呼ばれ、自宅に帰らず、会社に泊まり込んで働くことも少なくなかった平凡なサラリーマンが、定年と共に行き場を失うという話しは、決して少なくなかったはずだ。

 アスリートであれ、平凡なサラリーマンであれ、自己防衛のために無理することなく、自分の安全を確保した上で活動するという自重心こそが重要視されるべきなのだろうか。もちろん、体を壊し、定年したら生きる場所がないことに気づいたというのは悲劇であり、取り返しが付かないことに違いない。

 しかし、そういう生き方ばかりになった時、限界を超えて猛烈に活動するものが出現したら、一方的に圧倒されてしまうことにはならないのだろうか。そうした無謀な者達には、やりたいようにやらせておけということになるのだろうか。「平和ぼけ」という言葉が頭をかすめてしまうのは、僕だけだろうか。

 かつての文部省(現在の文部科学省)は、毎年、児童生徒の体力調査結果を発表していた。その記録を見ると、運動能力のほぼすべての分野で、1956(昭和31、つまり僕と同年))年生まれが圧倒していた時期が永く続いていた。今はどうなっているのか調べていないのだが、この結果にはさもありなんという気がする。というのも、その調査の元となっている学校でのスポーツテストや体力測定への産科の仕方を見てきたからだ。現在、中学校で行われているスポーツテストでは、50m走も大抵はいい加減な走り方をする者がほとんど。立ち幅跳びなど跳んだのか跨いだのか、足踏みしたのか区別が付かないというような者も少なくない。握力にしても体前屈にしても、何もかもが「全力」などという言葉とは無縁の状態だ。ぼくらが小中学生の頃は、スポーツテストの日が決まると、かなりの期間を掛けて「自主練習」に取り組んだ。学校の先生が勧める訳でも指導した訳でもない。自分たちで空き地や河川敷に集まって、暗くなるまで長距離走や短距離走の練習や勝負を繰り返した。1956年生まれと言えば、戦後11年目の生まれである。焼け跡は残っていなかったが、上野の地下道には傷痍軍人が土下座して物乞いし、ちびっ子ギャングも散見した時代である。大震災後11年を見れば、腹腔の状態も想像出来るだろう。給食には、アメリカ軍が提供した脱脂粉乳を飲まされていた時代である。豊かな食生活とはほど遠い時代である。その時代に生まれた者が、体力も運動能力も群を抜いていたのである。こうした事情を考えているうちに、現在後進国、発展途上国とされ、衣食住さえままならない国の人々が、無理をしない先進国の人々を追い抜いていく時代が来ても、少しもおかしくないと感じてしまうのは取り越し苦労なのだろうか。確かにアスリートの世界で、世界新記録は年々交信されてはいるのだが・・・。

  怪我怪我(けが)功名功名(こうみよう)

 最後に蛇足ですが、一寸先は闇という教訓を一つ。ぼくら夫婦の結婚記念日は、女房が10月10日の体育の日にしました。「どうせすぐに結婚記念日など忘れるだろうから」という理由からでした。ところが体育の日の方が、第2日曜日になるという移動祝日となってしまい、必ずしも10日ではなくなってしまいました。さらに名前もスポーツの日に変わってしまいました。日時も名前も変わってしまっては、元の姿は見る影もありません。当初のもくろみは崩れ去ったのですが、しかし逆にその結果10月10日は忘れなくなりました。瓢箪瓢箪(ひようたん)から駒(こま)、一寸先は闇(やみ)、塞翁塞翁(さいおう)が馬、・・・そんな数々の教訓が思い浮かびます。思い通りに行かないことが必ずしも失敗だけではなく、思わぬ拾いものとなることもあるようです。   

執筆日      2023年10月2日(月)                   (October2nd・葉月18日)