初詣について

  初詣の現状

 普段は神社にもお寺にもお参りしない人が、正月だけは行くという人がたくさんいます。「初詣」 です。2016年の参拝客数第1位は、明治神宮で、約317万人でした。

 現在初詣の決まりというのは特にありません。神社に行くか、寺院に行くか(実際、1位は神社ですが、2位~5位は成田山新勝寺、川崎大師、浅草寺と寺院が続きます。)も、何日に行くかも、行き帰りにどこへ寄るかも、何もかも自由です。そして、こうした風習が相当昔から続いているように思われています。しかし、本当のところは意外なことがたくさんあるのです。

  初詣はいつ行くのか

 初詣の時期や作法なども決まっていません。極端な話12月になっていても、年内の最初の参拝なら「初詣」といえます。反対に、例え正月にお詣りしたとしても、それがその年の最後の参拝になってしまえば、「初詣」には違いなくても、「最後詣」になってしまいます。

 それでも一般的には、正月三が日や松の内、または1月中に行う参拝を初詣と呼ぶようです。また、回数も制限がありません。多数の神社仏閣に参詣すれば色々なご利益があるという説もあります。例えば西日本の一部地域の様に「三社参り」などと言って正月三が日の内に複数(多くは3社程度)の神社に参拝するのが習慣となっている地域もあります。七福神巡りというのもあります。

  

  神社かお寺か

 まずはお参りするのは、神社か寺院かです。本当はお寺と神社は、全く違うものですが、あまり違いを意識していない人も少なくないようです。これは、「神仏分離令」などが出たこともありましたが、長い歴史の中では「神仏習合神仏習合(しんぶつしゆうごう)」とか「本地垂迹本地垂迹(ほんじすいじやく)」などといわれ、お寺の仏様と神社の日本の神様は、実は同じもので、姿を変えて表れていると考えられる時代が長く続いた結果です。仏教が伝来した558(あるいは538)年頃には、それまでの宗教であった神道(神社)を代表する物部氏と仏教(寺院)を容認する蘇我氏との間で、すさまじい争いがあったと伝わっています。

 大晦日に除夜の鐘を聞いて、元旦に神社にお参りするというのが本来の姿のようです。人間には煩悩(体や心を悩ます欲望)が108あると言われ、寺院で撞かれる除夜の鐘でその一つ一つをかき消し、107を大晦日に、最後を元旦に聞いて、身を清めてから、汚れを嫌う神社にお参りに行くのです。もともと神社は徹底して汚れを嫌い、自力本願を旨としています。それに対して寺院は他力本願が基本です。自力本願というのは、他に頼ることなく、自力で物事に立ち向かい、達成するように努力することです。癒()やしの森でパワーを授かり、エネルギー満タンにします。そこで神社では、願い事をしたりお金を出したりすることは厳禁です。「日本の神様は、お願いされることとお金をもらうことが一番嫌い」なのです。では神社に行って何をするのかというと、「自分でがんばることを誓い、それを見守って欲しいと訴える」のです。マイナスイオンたっぷりの癒やしの森で生気を復活させて、新たに清められたパワー全開の自分を取り戻すのです。欲を嫌う神社の神様は、「お金持ちになれるように」といった欲望は勿論「健康でありたい」とかいう欲も受け付けません。「世界平和を願う」という、自分の欲とは言えないようなことでさえも受け付けません。またお金は、どのようにして手に入れたにしろ「欲」と無縁ではありません。うまく儲けたにしろ、誠実に努力した結果であれ同じことです。ですから、お賽銭は、神様が欲するのではなく、自分が欲との縁を絶ちきったことを示すもので、金額の多い少ないが願い事に影響を及ぼすことなど全くないのです。そのため、かつては「晴れの日」として「晴れ着」を着てお詣りに行く人が多かったのですが、最近は平服のままの方が多いようです。

 これに対して寺院は、「他力本願」です。自分の力を信じて立ち向かうなど無知な輩(やから)のうぬぼれとされます。仏様や阿弥陀様の慈悲慈悲(じひ)にすがりついて、極楽浄土に迎えられることをひたすらお願いするのです。親鸞上人は、「善人往生往生(おうじよう)す、況(いわ)んや悪人をや」という意味のことをおっしゃったそうです。善人でも極楽に行けるというのだから、悪人なら勿論極楽往生できるに違いない、という意味です。一見逆さまのようです。しかし「この世で悪いことをするのは、そうせざるを得ない不幸な境遇に生まれ落ちたからで、生きている間その役を引き受け、演じざるを得なかったのだ。それは仏様が与えた試練だというのです。体の不自由な人も同じく、その不自由さを引き受けたのです。また、悪事を働けば、それを悔いて、死後は普通の人以上に極楽浄土に迎えられることを願うに違いない。善人だろうと悪人だろうと、所詮所詮(しよせん)は未熟な人間のことだから、阿弥陀様の前に無心で念仏を唱えることが、成仏する唯一の道だとおっしゃった」ということです。勿論勿論(もちろん)、悪事を働くことを勧めたわけではありませんが、与えられた自分自身と環境の中で精いっぱい生きることが大切だと教えたのです。

 神社の代表とも云うべき伊勢神宮は、20年に一度、遷宮遷宮(せんぐう)といって全く新しく建て直します。伝統技術を絶やさないためとも言われますが、汚れを嫌うことも一つの理由です。それに対して法隆寺や東大寺といった寺院の代表は、世界最古の木造建築であることを誇りにしています。それ一つとっても全く違ったものであることがよく分かります。お寺では殺生殺生(せつしよう)も飲酒も禁止で精進精進(しようじん)料理が提供されますが、神社では、お米から作るお餅と日本酒は最高の供物とされます。神社とお寺は大違いです。

 ではお寺にお参りに初詣に行ってはいけないのかというと、そうとも言えないのです。お寺と神社を分けて考える人でも、大晦日にお寺で除夜の鐘を108回(厳密には旧年中に107回、年が明けた深夜零時を過ぎてから1回)撞くものと思っている人が普通です。元旦になったら神社に初詣するというのですが、実はこれも違うのです。

 1日の始まりをいつにするかは、実は時代によって変わっています。まず真夜中の零時を過ぎたところで1日が始まるとする考えがあります。今はほとんどがこれで、カウントダウンされたりします。それに対して、朝日の出る時刻を1日の始まりとする考えがありました。江戸時代の日本では、前者を「天の昼夜」、後者を「人の昼夜」と呼んでいました。しかし、このほかに日没をもって1日の始まりとするものがあります。日本ばかりではなく、ユダヤ人などもこの考え方をしていました。だからクリスマスの当日以上に「クリスマスイブ」が盛り上がるように見えるのは、実はクリスマスイブは、クリスマスの当日の始まりの時間だからなので、前夜などではないのです。日本の除夜と元日の関係もこの通りなのです。汚れを嫌う神社にお参りする前に、まず除夜の鐘で身を清めて、神社にお参りするのですが、実は除夜の鐘が撞かれ始める時には、既に元日なのです。いわば、神社と寺院が一緒になって正月を迎える行事を作り上げてきたのが日本の特徴なのです。

  本来の初詣の仕方は?

 現在では、有名寺社にお参りする人がたくさんいます。2016年の統計では、明治神宮、成田山新勝寺、川崎大師、浅草寺の参拝者合計は、1224万人になります。ほとんどが東京、神奈川、千葉、埼玉などに住む人でしょうし、一人でいくつも参拝する人がいるのでしょうが、それにしてもすごい数です。こうした初詣は、はるか昔からの習慣のように思われます。しかし、有名寺社にお参りするというのは、意外にもほんの60年ほど前から盛んになったことです。

 確かに初詣の起源らしきものは、平安時代から伝わる「年(とし)(ごも)り」という習慣にあるといわれます。1000年以上前のことですから、十分に古いものです。ただ年籠りとは村や家の長がその地域の氏(うじ)(がみ)(さま)が祀られている社寺に大晦日の夜から元日の朝まで寝ずに籠ることでした。年籠では、一度も寝てはならないという決まりがあり、うっかり寝てしまうと白髪や皺(しわ)が増えるといういい伝えもあったそうです。いずれにしろ村や家の長だけがするもので、今の初詣とはかなり違います。

 その後この年籠りが大晦日の夜にお参りする「除夜詣」と元旦の朝にお参りする「元日詣」との2つにに分かれ、そのうちの元日詣が今の初詣の原形となりましたが、これもごく限られた人のすることでした。1181(治承5)年には源頼朝が鶴岡若宮に参詣し、初詣が広まるきっかけになりました。

 江戸時代になると元日詣は「恵方詣恵方詣(えほうもうで)」と呼ばれるようになり、人々は居住地から見てその年の恵方に位置する神社にお参りしました。「恵方」とは節分の時に食べる恵方巻きで知られる、その年の縁起の良い方角のことです。この恵方は毎年変わるため、決まった社寺にお参りする習慣はなかったようです。尤も、自宅からではなく、その寺社が恵方の方角になるような場所に寄り道してから出かければ、毎年同じ寺社にお参りすることも可能(これを「方違え」と言いました。)とされました。また、恵方とは関係なく、1月末にかけて信仰対象の初縁日(初卯・初巳・初大師など)に参詣することも盛んでした。近所にある氏神神社に、毎年参詣するのが普通で、有名神社に大挙して押し寄せるという現在の初詣とはかなり違います。「年籠り」形式を踏まず、単に社寺に「元日詣」を行うだけの初詣が習慣化したのは、明治中期以降のことですが、ここでもまだ近所の寺社にお参りするものでした。

 明治時代には、江戸時代とは人々の生活スタイルが大きく変化し、休みが元日に集中するようになり、鉄道会社の集客競争が起こります。関東では、1872(明治5)年の東海道線開通により、従来から信仰のあった川崎大師へのアクセスが容易容易(ようい)になりました。当時、新橋と横浜の間を運行していた国営の汽車は、「川崎大師」がある川崎駅に急行列車が停車しませんでした。そこで「鉄道を使って初詣をする」という流れを作るため、特に参拝客が集中する三ケ日は、川崎駅に特別に停車することとしたのです。この結果、東京から川崎大師へのアクセスが容易になりました。それまでの東京(江戸)市民の正月参詣は市内に限られていたのですが、郊外の有名社寺が正月の恵方詣りの対象となったのです。郊外への正月参詣は、遠隔地遠隔地(えんかくち)に行楽行楽(こうらく)も兼ねて出かけていくものとなりました。「初詣」という言葉は、それまでの「恵方詣り」とも「縁日(21日の初大師)」とも関係のない、川崎大師へ正月に参詣を指すものとして登場しました。1885(明治18)年の『万朝報』に「初詣」が川崎大師への参拝を指すという記事が出ています。その後京成電鉄や京浜急行電鉄、成田鉄道(現:JR成田線)など、参拝客輸送を目的として開業する鉄道会社も登場しました。競合する鉄道会社間(国鉄を含む)では正月の参詣客を誘引するために宣伝合戦とサービス競争が行われました。当時の人々は新しかった鉄道での小旅行ということ自体が珍しく、ワクワクするものでした。そのため、深く信仰していない人でも楽しく参加できる気軽なイベントとして急速に普及していったのです。このような流れの中で鉄道での恵方詣が盛んになっていきましたが、恵方は毎年変わることから利益を生み出し続けるのは困難でした。そのため方角を限定する「恵方」を使うことをやめ、「初詣」という言葉が徐々に使われるようになり、大正時代以後は「初詣」という語がが主に使用されるようになりました。

 関西では、もともと恵方詣りは元日よりも節分に盛んに行われていました。そのため鉄道会社の集客競争の中でも正月参詣にも恵方が持ち込まれ、関西の人々は節分のほかに元日にも恵方詣りを行うようになりました。しかし、鉄道会社が熾烈な競争の中で自社沿線の神社仏閣をめいめいに恵方であると宣伝し始めましたので、やがて恵方の意味は埋没してしまいます。大正末期以降、関西でも方角にこだわらない「初詣」が正月行事の代表として定着していきました。鉄道会社が、遠方の有名寺社に初詣する風習を作り出したのです。かつては、方角や参拝する時期(大晦日とか元日とか)などの縛りがあった「年籠り」や「恵方詣」の習慣はすっかり変わってしまいました。

 さらに、恵方詣から初詣へと移行していく流れを決定的にしたのが「明治神宮」の登場です。現在でも最も多い参拝者数を誇る明治神宮は1920(大正9)年に建立されました。東京の中心ともいえる場所に建立されたため、「恵方」に囚(とら)われることはありません。メディアの後押しもあり、「正月にはどこかの社寺にお参りをする」という現代の初詣のスタイルを象徴するような神社となったのです。

 このように「初詣」という恵方・縁日にこだわらない新しい正月参詣の形である「初詣」文化が作られました。それを象徴しているのが、俳句で「初詣」が季語として歳時記に採用されたのは明治末期になってからで、実際に「初詣」を詠んだ俳句が登場するのは大正時代以降です。現在の「初詣」は、必ずしも古くからの習慣というよりは、早くても大正時代以後の風習なのです。

 そして何より、もともと初詣では賽銭以外にお金を使うことは厳禁でした。生きには方違えをしても、帰りに寄り道をすることも厳禁でしたが、現代の鉄道会社によって作られた初詣は、買い物をしたり飲食したりすることとどちらが目的なのか分からないような状態にしました。

 行事は楽しみながら続けるのが一番です。我慢我慢(がまん)と苦しみだけでは続きません。しかし、あまりに浮かれ、流行に乗せられると、初詣は一部のお金持ちがよりたくさん稼(かせ)ぐための手段になっているのではないかと頭の片隅においておくのもいいかもしれません。

 初詣は、方角の縁起を担ぐことと、氏子氏子(うじこ)や檀家檀家(だんか)制度を破壊して、レジャーとすることによって成り立っているという面があるのです。せめて、正式な参拝方法を覚えて、外国人に手本を示しましょう。

  正式な参拝作法

 ① 社寺に入る前はしっかりと身だしなみを整えましょう 帽子やマフラーは入る前に取るのが正しいマナーです。 高校訪問でも会社訪問でも、玄関に入る前に外套(コー トや手袋、マフラーなど)を脱ぎますが、それと同じよ うに、山門や鳥居の前では脱ぎます。その後、その場で 軽く一礼し、境内へ入ります。山門や鳥居をくぐったら、 最初に手水舎で手や口を清めます。

 ② 手水の仕方

   下図の順に行います。

  柄杓に汲むのは最初の一杯だけ  ですし、口を付けてはいけませ  ん。柄杓は元の通りに返します。

 ③ 昨年いただいたお札やお守り   は、1年の御利益に感謝しなが  ら奉納しましょう。拝受した寺

  社に奉納するのが 一番良いのですが、難しい場合は違う社寺でも構わないそうです。

 ④ お札やお守りを奉納したら、新年の幸福をお願いするため、本殿にてお参りをします。神社と寺院で  は参拝の仕方やお願い事の仕方がが異なるので、自分が初詣に行く社寺に合わせた礼儀作法をチェッ  クしておきましょう。

 ⑤ 正面で会釈し、賽銭箱のある位置まで進みます。 (階段があることが多い)

 《神社の場合》 ア お賽銭を納める イ 鈴を鳴らす ウ 姿勢を正して深々と二礼する エ 二回拍手をする(大きく音を立てる) オ 目を閉じて手を合わせる    お祈りのときには、まず自分の住所氏名を述べる。 カ 深く一礼する       《寺院の場合》ア 常香炉があれば線香を上げる イ 鐘が撞ければ撞く           ウ 一礼し、鰐口があれば鳴らす エ お賽銭を納める             オ 静かに手を合わせてお祈りをする (音を立て ない)カ 深く一礼する           
 姿勢を正し、体を直 角に2度倒す  胸のお前で両手を合わせ、右手を少し下げて、大きな音を立てて2度拍手するもう一度深々と一礼る  

 たいていの神社は「二礼二拍手一礼」ですが、寺院では違います。ただ、どちらもしっかりと腰を曲げて、深々と礼(最敬礼)をしましょう。神社では、左手を第一関節分くらい下げて、大きな音を立てて拍手しますが、寺院では拍手ではなく、静かに両手を合わせるのがポイント(「皺と皺を合わせて、幸せ」とも表現されます)です。今年の幸せを願ってお祈りをしましょう。初詣を楽しみながらもしっかりと礼儀作法を守って参拝し、ご利益を得られるようにしましょう。

  初詣についての知識

  初詣には厳格なルールがなく、誰でも気軽に行けます。返って厳格なルールがない分「どうやればいいの」「いつ行けばいいの」とわかりにくいのです。「三が日は人が多くて嫌だけど、それを逃すといつまでに行けばいいかわからない」「三が日には何か意味がありそうな気がする。」と、「やはり三が日に行くのがいいのか」と心配になります。

 ところが、初詣としての御利益が得られるのは何と前年の12月からだそうです。年明けではなく年内のうちに初詣を済ませ、幸先の良い新年を願うことを「幸先詣幸先詣(さいさきもうで)」と言うそうです。新型コロナウイルスの影響で分散参拝を推奨する目的で、ほんの数年前に普及した参拝様式です。年明け前から「初」詣でできるというのですから、「いつでもいい」と言って差し支えなさそうです。

 逆にいつまでを初詣の期限とするのかについても特に決まったものはないそうです。1年の中で初めての参拝が初詣です。ただ「三ケ日」か「松の内」と呼ばれる、門松が玄関に飾られている期間(関東は7日まで・関西は15日まで)が望ましいようです。節分(2月3日)までには行くとも言われます。

 初詣では、社寺へ参拝を行って、社務所でお守り、破魔矢、風車、熊手などを受けたり、絵馬に願い事や目標を書いたりしますが、そうした縁起物を買わなくても、今年一年がよい年であるよう祈るだけでも構わないようです。昨年のお守りや破魔矢などは、このときに社寺に納めて焼いてもらいます。また神社によっては境内で甘酒や神酒などが振るまわれたりすることもあります。

 各地の初詣の模様は、12月31日より1月1日早朝にかけてNHK総合テレビの長寿番組『ゆく年くる年』などで毎年中継されています。

  初詣の参拝者に関する統計

 初詣を行う年齢層にはバラつきがあります。ノーリツが2006年12月に行ったインターネット上のアンケートでは、初詣に毎年行くと答えた年齢層の割合は70歳以上が59.1%でしたが、20歳代では44.4%に留まっています。さらに20歳未満では75%がほとんど行かないと回答しています。

 かつては参拝には晴れ着を着飾って向かうのが常識でしたが、今はほとんどが平服のようです。

執筆日          2024年1月12日(金)                   (January12th・師走2日)