まもなく夏休みがやってきます。長い休みを心待ちにしている人も少なくないでしょう。しかしこの夏休みは、いつから、どういう理由で始まったのでしょうか。自然に、大昔から夏休みが決められていたというわけではないのです。
かつての日本人の生活
日本にいわゆる曜日が伝えられたのは、実は相当に古いことです。週と七曜の習慣は、キリスト教とともに中央アジアを経て中国にまで達し、仏教占星術占星術とも習合習合して「宿曜経宿曜経」(天上の星の動きと地上の人間の運命に関係があるとする教え)という経典が成立しました。その「宿曜経」を空海が中国から伝えたのが始まりとされています。実際古くから暦にも記載されましたが、近世以前は吉凶の占いのために用いられており、1873(明治6)年の太陽暦及び1876(明治9)年の週休制が導入されるまで実質的に定着することはありませんでした。200年以上の長い時間をかけてやっと日常生活に定着したわけです。
一般の暦である京暦が1672(寛文12)年から記載しており、伊勢暦はもうすこし早くから記していましたが、この時代は、日曜日を休日とするといった生活のためではなく、吉凶の占いのために用いられたのです。「日曜休暇、土曜半日休暇」とすることが定められたのは、1873(明治6)年に太陽暦が採用され、76年3月、太政官達第27号により「同年4月1日より」実施されることが通達されてからのことです。この結果、公官庁では採用されましたが、法制化されたこの時期になっても、一般には採用されませんでした。たとえば昭和の初め頃には、まだ職人たちがそうであったように10日ごと、あるいは1日と15日を休むといった習慣が長く続いたのでした。そもそも農耕民族であった日本人の多くは、農民や漁民で、天候のせいで休みにせざるを得ない、不定期な休みに供えて、普段は一日も休むことなく農作物の世話をし、魚を捕りに出るのが当たり前だったのです。大多数の日本人にとっての日常は、曜日ごとに休暇を取ることなどなかったのです。
※ ちなみにヨーロッパで日曜日が休日、土曜日が半休日とされた原因は何でしょうか。日曜日は基督教の教えにより、安息日として働いてはいけない碑とされ、働かずに神に祈りを捧げる日とされた結果です。では、土曜日が半休日なのはどこから来たのでしょうか。それは、土曜日の午後はサッカーをやってもいい日として認められたことに始まるのです。サッカーはもともとストリートサッカーとして行われていました。まさに戦争で、部族同士で、互いの国に攻め込み、大将の首を取って、自国に首を蹴りながら持ち帰るという競技でした。これは王室により再三禁止命令が出されたのですが、再三出されたということは、ずっと続いていたという証拠です。そして遂に根負けした王室が、土曜日の午後だけ、仕事を休んでサッカーに興じても良い日と定めたのです。土曜日が半休日になったのはこうした理由に夜のです。今や土曜日は半日ではなく一日中休日とされ、更に週休が三日になりそうな勢いです。数十年前まで土曜日が半日休みだった頃には、土曜日に半日休めるのはサッカーのお陰だと、サッカー部顧問として大きな顔をしていたものですが、そうした有り難みも、今は昔の話となってしまいました。ヘタをすると、土曜日に半日働かなくてはならない原因がサッカーにあると誤解されかねないかのようでさえあるのです。
夏休み導入のきっかけ
今では週休二日は珍しいことではありませんが、毎週日曜日を休みにするなどということが現実離れしたことでしかなかった時代に、長期の夏休みを取るなどという発想自体があり得ませんでした。
文部科学省によると、
(1) 夏休みは、正式には夏季休業といって、学校教育法で決められたものです。期間などは、各地区町
村の教育委員会が決めることになっています。
(2) 始まったのは、明治14年に小学校教則綱領の第7条にて『小学校ニ於テハ日曜日、夏季冬季休業
日及大祭日、祝日等ヲ除クノ外授業スヘキモノトス』と定められてからのことです。
(3) 夏休みの明確な目的は不明です。
というのが公式な回答のようです。
しかし、一般にはもう少し踏み込んで考えられています。1872(明治5)年で、学校教育の仕組みを法令で定め、子供たちを学校に行かせることが決まりました。それから、9年後の1881(明治14)年に文部省(当時)が「夏季休業日」を定め、その後に夏休みが広がりました。
夏休みは、欧米の国々を参考にしたというのが通説です。欧米では秋から春にかけて晴れた日が少ないことから、夏は太陽の日差しをたくさん浴びるべきだという考えがありました。また、新学期が始まるのが9月で学年が切り替わるので、長い休みを取るにはちょうど良かったようです。
また当時の日本は欧米の教育を取り入れて、先進国の仲間入りをしようという考えがあり、その一環として、夏休みが取り入れられました。
休みだというのに、夏休みの宿題も明治時代より始まりました。日本は4月から新学期が始まるので、4ヶ月ほどで夏休みになり勉強が中断されるのはもったいない、授業内容を忘れることがないようにするために休み中も勉強を続けるために宿題が始まったのです。まるで休ませないための休みのようです。
夏休みを実施する意義と理由
日本の学校の場合、正式名称は「夏季休業」といいます。かつては校舎などに冷房設備がない場合が多く、真夏の暑さの中での授業が困難なので、その間を休業とするためとされます。そして、その期間に期待される教育効果の主たるものは、普段学校では体験することの出来ないことへ児童・生徒が挑戦することでした。そのほかに、以下のような目的も考えられます。
(1) 自営業者や農家などの家庭における、家業手伝いを行いやすくするため
(2) 藪入藪入りの習慣の影響
(3) 学事年度間の夏休みの影響
(4) 教員採用試験や教職員の研修など、通常(授業等の実施中)では行いにくい校務の実施。
(5) 教職員の休業
ここで、藪入りの習慣の影響というのは、新暦8月15日や旧暦7月15日に盆の行事に参加することです。また、お彼岸・潅仏会潅仏会など他に重要な仏教行事もあります。お盆は親族ぐるみで行う仏教行事でしたから、伝統的に行われた家族団欒団欒のための休業が一般化したということです。
また、教職員の休業については、アメリカの教職員の場合は、夏期休業中は無給で、他の職業に就くことも自由ですが、日本の場合は給料が出され、勤務時間も他の時期と同様になっています。そのため夏休み中は授業がないだけで休みではありません。休むなら有給休暇を取ることになるのです。
夏休み実施の試行錯誤
明治5年5月に出された大阪府小学規則の休暇は、盂蘭盆盂蘭盆として、7月14・15日を休日としましたが、その後学制が敷かれ、改暦が行われると、旧来の習慣からの休日の大部分が廃止されました。わが国では盂蘭盆のほかには夏に休む習慣もなく、休むことが罪悪だと思われていた時代でしたから、盂蘭盆休みが廃されても、ほかに長期の夏休みを取ることはありませんでした。ただ、外人を講師とした中学・外国語学校・大学などでは、講師の習慣に随随って、夏休みを置きました。この習慣が文明開化の小学校にも伝わり、学制実施2年後の明治7年から、大暑を理由に5日間の休業が定められました。その後も夏休みは増えたり減ったりします。
・明治 7年 7.24~7.28 5日間
・明治8・9年 7.20~7.26 7日間
・明治10・11年 7.23~8.1 10日間
・明治12・13年 不確定 15日間
・明治14~19年 8.1~8.21 21日間
・明治20~24年 8.6~8.20 15日間
このように、ある年は長く、ある年は短く、世論によっていろいろと変更されたのです。明治12・13年は、15日間と期間だけが定められ、各学校によって休む日が異なりました。
北浜小学校では、明治12年には7月23日から8月6日まで、翌13年には7月16日から31日まで休んでいます。このころ、正月以外の長期休暇に反対する空気も強く、「暑中ト雖モ繰合セニ依リ半日休業或ハ幾時間ヲ授業シ、且他ノ農事・商用ニテ多事ノ節休業スル者ニ繰替、休業セサル等ハ各校ノ適宜タルヘシ」と定められているので、児童の学力を伸ばすため、休暇を返上して開講した教師の話が美談として新聞に載り、夏休み返上の小学校があちこちにできるような世相でした。明治14年1月に「夏季休業ハ八月一日ヨリ三十一日迄」と改正しましたが、「三十日間、休業ナストキハ教育上妨害ト認ムルニ付、午前二時間宛授業致度」と世論の反対にあって、実施前の7月14日に21日間と訂正しました。しかし、この年は前年までの不確定休暇の習慣のまま休むところもあり、道仁小学校では8月25日から9月15日までを休暇としました。尋常小学校となった明治20年には、再び15日間に減少しますが、明治25年から31日間と8月全部が休暇となりました。しかし、これは短縮してもよかったので、一気に2倍に伸ばすことは控え、25日間とするところも多くありました。明治29年の難波村の各小学校では、規定の8月1日から25日までの休暇を8月24日になって、「残暑末ダ去リカタキノミナラス、炎熱一層甚敷」きためとし、8月31日まで延長しています。夏休みを気候状況によって伸縮することはある意味では合理的ともいえます。しかし、世論の賛成・反対に翻弄翻弄され、伸びたり縮んだりしながら、夏休みが定着するには長い時間がかかったのです。
現在のように40日間となるのは、昭和12年からです。長い時間をかけて苦労の末に現在の形となった夏休みです。一時は休まないための休みのようなこともありました。夏休みはどのように過ごしたらいいのか、改めて考えてみましょう。
夏休みばかりでなく、冬休みも同じような経過をたどっています。明治の初めの小学校は、学期がありませんでしたから、年末年始休暇が唯一の長期休暇でした。そこで
・明治5年末、6年初 11.30~1.10 12日間
・明治6年末、7年初 12.25~1.15 22日間
・明治7年末、8年初 12.15~1.10 27日間
・明治8・9年末、9・10年初 12.26~1.10 16日間
・明治10~24年末、11~25年初 12.25~1.10 17日間
・明治25年末~、26年初~ 12.25~1.7 14 日間
こちらも規則が決められたり、自由裁量になったり、禁止命令が出たりといったことを繰り返して、手探り状態の末に現在のようになったのでした。今後も変わっていくかもしれませんが、今の長期休暇をどのように過ごすか、よく考えて大切に過ごしましょう。
執筆日 2023年7月18日(火) (Jujy18th・水無月1日)