正月とは

  正月とは何をする時か

 日本では、死者は皆荒れ狂う魂となり、その鎮魂鎮魂(ちんこん)を49日かそれ以上の法要法要(ほうよう)によって鎮めることになっています。平安時代など、権力闘争の末に、悪霊悪霊(あくりよう)による祟(たた)りを避けるための鎮魂が様々に行われました。鎮まり和御魂和御魂(ににぎたま)となって子孫の繁栄を見守るようになります。まだ荒御魂荒御魂(あらみたま)であるうちに鎮魂のために招くのがお盆であり、既に和御魂となったそれを招いて、家族みんなが集まって、祖霊祖霊(それい)と共に豊作や幸せを祈るのが正月です。その祖霊を迎えるために準備が大掃除であり、正月飾りです。ではその正月飾りにはどんなものがあり、どんな意味があるのでしょうか。

  正月飾りの種類

 正月飾りは、大きく分けて「門松門松(かどまつ)」「注連注連(しめ)飾り」「鏡餅鏡餅(かがみもち)」「床の間飾り」の四つに分けられます。細かいことまで追求すると、広範囲に分かれますが、現在の多くの家では、大まか図のように飾ることが多いのではないでしょうか。ただし、神棚などは、ない家の方が多いかもしれませんが、注連縄は玄関に飾ることもありますので、一通り紹介します。

  門松を立てる

 「門松」は、歳神様が降りてくる時の目印です。平安時代から常緑で一年中枯れることのない松は神が宿る木と考えられ、室町時代になって、竹が長寿を招く縁起物として添えられてできたのが門松です。「松」は「祀(まつ)る」につながる樹木で、葉が上を向いていて、神様を「待つ」木です。ただし、古くは松以外の常緑樹である杉や榊(さかき)が使われていた所もあるようです。

 門松の始まりは、平安時代の「小松小松(こまつ)引き」だと言われています。当時は、「初子初子(ういご)」と呼ばれる、一年最初の子の日に、野に出て宴(うたげ)をする文化があり、その日に子供が松を根ごと引き抜いて、それを玄関に飾ったのが門松の由来とされます。もとは松の枝を門柱などに括(くく)り付けるだけの質素なものでした。江戸時代には、庭の中央に松を一本建てることが正式だった時期もありましたが、それ以降は時と共に豪華になり、現在では玄関の左右に、三本の竹を中心に置き、松で周囲を囲み、その外に菰(こも)を巻くものが主流となっています。もっとも、最近では本物の松を飾らずに印刷物で代用することも多くなってきました。もともとは質素なものであり、印刷物をもって替えることも本筋を外れているとは言えないかもしれません。

 門松を立てるのは28日までにが良いとされています。29日に建てるのを「苦立て」、31日に建てるのを「一夜飾り」といって嫌います。なお、門松を片付けるのは、一般的には、歳神様を祀る期間が終わる1月7日か小正月の15日が多いようです。外した門松は、地域の神社などで行われていた「どんどん焼き」に、書き初めや他の正月飾りなどと共に、火にくべられたのですが、最近は消防法で焚き火が禁止されており、地域でどんどん焼きが行われなくなってしまっています。そこで、処分の仕方としては、和紙や半紙の上でお清めの塩を振り、紙に包んで他のゴミとは別に、地域のゴミ回収の際に、燃えるゴミとして出すことが多いようです。

 さて、門松には次のような種類があります。まず、関東と関西で違いがあります。関東では、3本の竹を配した周囲を若松で覆い、藁(わら)を巻いた物が多いのですが、関西では3本の竹の周囲に、若竹の他にクマザサや南天南天(なんてん)を添()えたり、紅白の葉ボタンを添えるなど豪華で華やかなものが多いようです。

 竹の形にも違いがあります。昔は竹は真横に切られること(寸胴寸胴(ずんどう))が普通だったのですが、現在では小口が斜めに切られて(そぎ)います。これは江戸時代に、徳川家康が「三方が原の戦い」で武田信玄に対して、「次は切る」という念を込めたのが始まりとされています。武田方に全く歯が立たなかった徳川方が浜松城に逃げ帰ると、武田方から「松枯れて 竹類いなき 朝かな」(松平は衰え、武田は今後も繁栄していく)という歌が送られたと言います。すると松平(徳川)方から「松枯れで 武田首なき 朝かな」(松平は衰えず、武田の首は明日にはない。)という歌を返したというのです。元歌の「て、た、ひ」に濁点を付けただけで、全く逆の意味になったのです。当時の介錯の手本とされた、首を膝の上に落とす形で武田の首を落とすという意味で、後ろから竹を斜め下に 切り落としたという伝説があるのです。

 また斜めに切った切り口にも2種類あります。節のないところで切ると、切り口は空洞になります。しかし、下三分の一ほどの所に節があると、切り口が笑った時の口の形に見えます。これは「笑う門には福来たる」と言われ、人気が高いようです。

  3本の竹は長さが違います。一番長いのが男、一番短いのが女を表し、中間の長さのものはその中を取り持つものとされています。

 この3本の並び方にも意味があります。3本の竹のうち、1番長い竹と短い竹が内側、2番目に高い竹が外側に置かれている飾り方を「出飾り」と言い、普通の家庭ならこの「出飾り」が一般的です。出飾りとは逆で3本の竹のうち、1番長い竹と短い竹が外側、2番目に長い竹が内側に設置される飾り方を「迎え飾り」と言います。

 「出飾り」は、子供が成長して独り立ちをすること、結婚などの 門出を祝うこと、病院などで退院を願うなど、外に出て行くことを吉とし、願う場合に用いられます。反対の「迎え飾り」は、「招福、子供を授かりたい、商店などでお客をたくさん招きたい」などといった内に入ってくることを吉としている場合に用いられます。

 松にも種類があります。一方は「雄松」と呼ばれ、黒っぽい黒松です。他方は「雌松」と呼ばれ、赤っぽい松とされます。雄松と雌松は、なかなか揃わないのですが、向かって左側に雄松、向かって右側に雌松を飾ります。なお、葉ボタンが付いている門松の場合は、松の雌雄と同じく、白の葉牡丹(男)を雄松と共に正面向かって左に、紅色の葉牡丹(女)を雌松と一緒に正面向かって右に置きましょう。

 門松の3本の竹や下の菰の、荒縄での結わき方についても、きまりがあります。下から7周巻き、5周巻き、3周巻き結わくことになっています。これは、一番下の7周巻いた長い縄を男性に例え、一番上の3周巻いた縄短いを女性に例え、中間の5周巻いた縄を男女の仲を取り持つものとし、どれも割り切れない縁起の良い数字となっているのです。また結び方も、なかなか溶けない男結びが用いられています。 このように、門松には、配置の仕方、長さ、結び方や数など、至る所で家族の幸せと男女の仲を取り持つ思いが込められているのです。

 注連飾り

  家庭で用いる注連飾りは、「玉飾り」「輪飾り」「注連縄注連縄(しめなわ)」の3種類がおもなものです。

 (1)玉飾り(関東風)

  玉飾りは、玄関のドアの外に飾るもので、寿飾り・正月飾り・竹飾り・松飾り・梅飾りなど共呼ば

 れ、 俗に海老型とも呼ばれます。主に玄関の軒下など、出入の妨げにならない所に飾ります。注連

 縄に縁起の良い品々を華やかに飾り付けたものです。関東風と関西風では違いがあります。関東風の

 代表的なものを紹介します。

 ①松竹梅・・・寒さに強く古くからお祝い事に使われています。松は常に葉の色が変わらないことから

   誠実な心をあらわします。竹はその真っ直ぐな性質が喜ばれます。梅は春に先がけて咲くこと、

   香りがよいこと、また歳神さまの降臨する神木であり縁起のよいものとされています。

 ②ゆずり葉・・・新葉が開いてから、古葉が垂れ下がって、譲る形になるため、ゆずり葉と言います。

      子孫繁栄をあらわします。

 ③橙(だいだい)・・・橙の音が「代々」に通じることから家が代々続く子孫繁栄の意をあらわします。

 ④裏白・・・葉の表は濃い緑で常緑のまま繁茂するので長寿を表します。葉の裏が白いので「裏がない」と    いう潔白を表します。二葉が相対しているので夫婦和合、葉の裏が白いので夫婦とも白髪にも通    じ、おめでたいものとされています。鏡もちの床飾りにも    使われています。

 ⑤伊勢えび・・・お祝い事全般に使われます。「伊勢」は「威勢」に通    じ、また、その姿が長寿を保つ腰の曲がった翁に似ている    ために不老不死をあらわし縁起の良いものとされていま     す。

 ⑥水引・・・和紙をこよりにして、彩色した水のりで固めたもので、    元来は髪を結うときに使われていました。吉事には5,7,9     本というように奇数でまとめて使います。お祝い事では紅    白や金銀のものを色の濃い方を右にして使います。多くの    吉事には「結びきり」「こま結び」といった結び方をしま    す。

 ⑦昆布・・・「こぶ」の音が「よろこぶ」に通じる為、お祝い事に使    われています。和名を「ひろめ」といい、広まるに通じま    す。昆布がよく結んで使われるのは「むつびよろこぶ」に    通じ、家族が睦まじく幸福であることを祝うという意味が    込められています。

 ⑧幣(へい)(そく)・・・神社でお祓いに使う祭具「大幣」と同じような働きがあ    ると言われています。外からの災いや厄を、〆飾りにつけたヘイソクに吸収させて家の中に災い    が入るのを防ぐとされています。幣束には白や紅白、形も人形や馬形などいろいろあります。

      なお、関西地区を中心に玄関用しめ飾りは、「ゴンボ」と呼ばれています。橙、ゆずり葉、裏    白、稲穂をあしらった割に簡素なものです。

 (2)輪飾り

 「玉飾り」の簡略版といえます。おもに日ごろお世話になっている、台所、トイレや蛇口などの「火・水廻り」に飾り、新年の無事を祈願します。台所は火の神様の入り口、トイレや蛇口は水の神様の入り口と言われています。

 ③注連縄

 注()()(なわ)は、神道における神祭具で、糸の字の象形を成す紙垂紙垂(しで)をつけた縄です。注連縄の形式によっては縄の下に七本、五本、三本の藁を垂らします。以上の理由から、標縄、〆縄、七五三縄などとも表記されます。これは、「神様を祭る清浄な場所です」ということを示しています。神様が「占める」場所を「示した」ので「しめ縄」というのです。不浄なものが入らない結界線のような役割です。正月に家で飾る「しめ飾り」は、このしめ縄の変形として装飾させたものです。お正月にしめ飾りを飾ることで、年神様が安心して降りて来られる神域を作り、お迎えするということです。

 神棚や、玄関の戸口に張ります。注連縄・注連飾りの形状には、一文字、大根締め、ゴボウ締め、輪飾りなど色々な種類があります。大根締めは両端がつぼまり、ゴボウ締めは片側のみが細くなっています。縄の綯()い方には右綯いと左綯いがあります。神道では左側が神聖とされており、ご神体から見て左側(私たちから見て右側)に太い部分がくるように飾るのです。(ただし、出雲大社では逆になっています。)縄の材料は、屋外では稲藁、本殿では麻製の注連縄が使われます。ただし、近年はビニール製も増えてきています。いずれにしろ、新年も家の中に病気や災いが入って来ないよう、心をこめて飾ります。

  鏡餅を供える

 「鏡餅」は、家にお迎えした歳神様の依り代(居場所)として飾ります。昔から「餅」は神様に捧げる神聖な食べ物として、祝い事や祭りに欠かせない物でした。

 鏡餅の形が丸いのは、人の魂を模して作られ、それが神事に使う鏡と同じ形だったので、「鏡餅」と呼ばれるようになったのです。また大小二つを重ね合わせるのは、月(陰)と日(陽)を表し、縁起がいいと考えられたためです。

 《鏡餅の構成》

 まず、「三方三方(さんぽう)」と呼ばれる台を準備します。この台は、折敷折敷(おしき)と呼ばれるお盆の下に、三方向に穴が空いている台です。通常は檜の木製で、神事では素木素木(しらき)、仏事では漆(うるし)等の塗り物が用いられます。折敷には淵の板を止めるための継ぎ目がありますが、これは穴のない側の反対側になるように作られています。神前に供える場合は、穴のない側が神前(継ぎ目の方を手前に)向くようにします。この上に「四方紅四方紅(しほうべに)」と呼ばれる四方を紅で縁取った和紙を載せます。「天地四方」を拝し、災いを払い、一年の繁栄を祈願するものです。この和紙の上にお供え物を載せますが、三方の上に、45度ずらして、正面に角が来るように敷きます。なお、四方紅がない場合には、半紙や奉書紙奉書紙(ほうしよがみ)を正方形に切って代用します。奉書紙というのは、儀式で使われる巻紙や目録、神主さんが振るう御幣などに使われている和紙で、もともとは室町時代から江戸時代まで、上意下達上意下達(じよういかたつ)の下知状下知状(かちじよう)に使われていたために付けられた名前です。この上に「ウラジロ」と呼ばれるシダのような葉を敷きます。本来は裏の白い方を上にします。裏白は古い葉と共に新しい葉が伸びてくるので、久しく繁栄するという縁起を担ぐものです。また「裏を返しても白いので、心に裏表がなく純真」という語呂合わせ、対に葉が生えているので、夫婦睦(むつ)まじく相性が良いことを願うといった意味が込められています。その上に「御幣御幣(ごへい)」または「四手四手(しで)」を載せます。これらは四方に大きく手を広げ繁盛するようにという意味が込められています。紅白の御幣や四手の場合には、赤い色には魔除けの意味があるとされます。その上に、鏡餅の大小を重ねて置きます。関西地方では、餅の間に「昆布」(「喜ぶ」や「子生」から、子だくさんを象徴してます)を挟むこともありますが、関東地方ではあまり見かけません。餅の上に「橙」を置きます。橙は冬を経ても実が落ちないため「代々家が続く」という語呂合わせから、縁起の良いものとして用いられています。関西地方では、この橙を抱くような感じで、「海老」(腰を曲げた老人の姿から長寿を連想させます)を供えることがあるようですが、これも関東ではほとんど見かけません。最後に「末広」を載せます。これは「末広扇」の略で、家が代々末広がりに栄えますようにとの願いを込めたものです。末広には、金、銀、色物があり、金や銀がより高級な感じを出しています。なお、関西地方では、この末広に串柿を括り付けることもあるようです。串柿とは、一本の細い竹串に10個の柿を刺したもので、三種の神器の一つである剣に見立てたものとされています。半紙で包み、水引で縛って、末広に括り付けます。これも関東地方ではあまり見かけません。以上が鏡餅の仕組みです。

 《鏡餅を飾る時と場所》

 この鏡餅を飾るのは、床の間が一番相応しいのですが、ない場合は、家族が揃うリビング(居間)が良いようです。もちろん大小いくつかの鏡餅を各部屋に飾っても構いません。

 鏡餅も、門松と同じように29日と31日に飾るのは嫌われます。また、神様の依り代ですから、松の内は決して食べてはいけません。

 《正月明けの鏡餅》

 正月明けの11日に、鏡開きとして、細かく砕き、お汁粉などにしていただきます。注意することは、細かく砕く際に、神様の依り代ですから、包丁などの刃物は使わずに、木槌などで砕きます。

 ちなみに「鏡割り」と「鏡開き」という言葉がありますが、これらは基本的に同じ意味です。鏡餅を砕く時と、日本酒の入った樽の蓋(これも丸い鏡と呼ばれます)を砕く時に使われる言葉ですが、めでたい席で「割る」は忌み言葉とされるために、「開く」が使われているのです。

 最後に、正月飾りは、本来は各家庭のご先祖様をお迎えするための目印ですから、各家庭独特のものが相応しいはずです。大量生産された既製品では、どこが誰の家田か分からなくなってしまいかねません。太昌不格好でも、そのいえ独特の手作りのものが、本当は一番相応しいはずです。

  その他の年末行事     

 その他の年末には、「餅搗き」「お節料理作り」「冬至」「除夜の鐘」「年越蕎麦年越蕎麦(としこしそば)」が挙げられます。

  餅搗き・・・日本には稲作信仰があり、稲は「稲魂」や「穀物霊」が宿った神聖なものとされ、稲から取れる米は、人々の生命力を高める神聖な食べ物とされました。そしてその米を搗()いて固める「餅」や醸造される「酒」は、特にその力が強いとされ、祝い事のある日や特別な日には餅つきをして餅を食べるようになりましたし、神社には御神酒御神酒(おみき)が供えられました。特別な日に餅ではなく赤飯を炊いてお祝いするのも、赤飯は餅米で作るからです。また、餅つきは一人ではできないので、皆の連帯感を高め、喜びを分かち合うという社会的な意義もありました。餅を食べるのは、お正月に限らず、桃の節供には「菱餅菱餅(ひしもち)」、端午の節句には「柏餅柏餅(かしわもち)」といったようにその時々に餅が食べられてきたのですが、最も大きな行事である正月に、餅は欠かせないものとなったのです。

 餅は、旧年中に準備する鏡餅を作るためと、新年を迎えてからお雑煮雑煮(ぞうに)に入れるための餅との二種類があります。しかし、年末年始に二度餅搗きをするわけではありません。餅搗きをするのは、煤払いが終わった日から12月の28日までに済ませるようです。松飾りと同じように、縁起を担いで、二重に苦の重なる29日と一夜飾りになってしまう31日を避ける風習になっています。

 餅搗きが共同作業だというのは、家族総出で行われたからです。餅米を蒸かす人、蒸かした餅米を臼まで運んで臼(うす)にあける人、杵(きね)で搗()く人、搗き手の相手をして餅を返す人、搗いた餅を広げる人、餅を切る人の他、準備や後片付けをする人なども必要です。もちろんすべての作業が並行して行われるわけではありませんが、さまざまなことをしなくてはならなず、多くの人手が必要です。しかも、そもそもお節料理や雑煮の餅を作るのは、どちらも保存食であり、一年中休むことなく働いている家庭の主婦を、正月の間だけでも炊事炊事(すいじ)をせずに済むように休ませようという意味が込められていたと思われますから、主婦以外の家族の活躍が期待されているのです。先祖である歳神様をお迎えするのは家族全員の責任であり、歳神様からその一年を健康で幸せに過ごせるように「魂」を頂くのも家族全員のことであり、家族全員が一丸となって作業に励むことによって、主婦の負担を減らそうということであったと思われます。

  お節料理・・・正月の間に食べるお節料理にも、それぞれめでたい縁起担ぎをした食材を並べると共に、長期保存が利く工夫がされています。これには主婦が休める時間を作るための工夫が凝らされていたようです。

執筆日          2023年11月20日(月)                   (November20th・神無月8日)