長寿の祝い

            はじめに

            1.長寿の祝いの歴史

            2.長寿の祝いの原点

            3.還暦以外の長寿の祝い

            おわりに

はじめに
 隠居するという言葉があり、高齢となって第一線を退く者は何時の時代にもあった。一方で、かつての日本は儒教の教えが強く、長幼の序に重きをおかれた社会があったとも言われている。しかし他方で「楢山節考」ではないが、老人を捨てる社会が実在したようだ。
 現在は介護の必要な老人が増え、手厚い介護が用意されすぎているように思えなくもない。医療も行きすぎた感がなくもない。生かさず殺さず楢、相当長い期間可能な世の中になってきたようにも思える。人の欲望はキリがなく、いざとなれば命を惜しむのだろうが、それでもいい加減なところで世代を交代すべきではないかという気がする。別れは淋しく悲しいが、隠居後に社会に負担をかけすぎるのもどんなものなのだろう。長寿の祝いをまとめてみた。準備された長寿の祝賀の中には、明らかにあり得ないと想定されているものもあるのではないだろうか。それを見極めることで、切りの良い人生にあきらめを持ちたいものだと思う。

1.長寿の祝の歴史
 ご高齢の方の長寿をお祝いするようになったのは、奈良時代に貴族の間で始まったとされている。遣隋使や遣唐使の時代に中国から伝わったらしい。歴史の記録では715年に長屋王「四十賀」、740年に聖武天皇「四十賀」の賀寿が行われていた。当時は医療環境も食事環境も不十分なため、長生きすることは珍しいことだった。そのため40歳の初老から10年おきに長寿を祝っていたようである。ただし、祝う年齢はその年が特別というのではなく、漢字の語呂合わせなど遊び心のある興味深いものとなっている。
 時代とともに寿命が延び、今では40歳は働き盛りでまだまだ若い世代となり、「長寿祝い」をするのは60歳の還暦からとなった。日本には元々「誕生日」という概念はなかった。母体に宿ったお腹の中にある命を1歳と数え、生まれてから正月を迎えると一律に皆1年を加えるという『数え年』が一般的だった。生まれた日から丸1年経ってから1歳とする『満年齢』が広まったのは昭和の時代になってからのことである。1950(昭和25)年に「満年齢を使うよう心がけなければならない」とする法律が施行された。あくまで「心がけ」なので強制ではなかったのである。伝統を重んじるなら数え年、わかりやすさで満年齢と、どちらを使っても構わなかったのである。そのため両方の年が巷に横行した時代が長く続いたのだった。

2.長寿祝いの原点
 長寿祝いの最初の大きな節目は「還暦」である。十干と十二支が60年で一巡することから「生まれた年の干支に還る」(「暦」が「還る」)という意味で、本卦還りともいう。本来は満60歳(数え年61歳)の誕生日に祝うものである。ただ、最近は家族が集まりやすい正月や敬老の日などに合わせて祝う場合も多くなっている。暦が2巡目にはいることから、第二の人生に生まれ変わるという意味も込められ、長寿を祝うようになったといわれる。還暦の人は、もう一度生まれ変わるという縁起を担いで、赤ちゃんのような赤いちゃんちゃんこを羽織るのが慣習である。古来、日本では赤が魔除けの色と考えられ、赤ちゃんの産着にも赤が使われていた。それで還暦を迎えた際に、もう一度赤いものを身につけるという風習が生まれたようだ。今は赤色の洋服や小物を身に着けたり、赤い花などを贈ることが多いようだ。還暦以降も古希や喜寿など長寿祝いがたくさんあり、年齢に合わせたテーマカラーもある。

3.還暦以外の長寿の祝い
 「古希」とは、数え年70歳(満69歳)のお祝いである。中国・唐の詩人である杜甫が詠んだ「人生七十年古来稀なり」からきている言葉だ。「古希」とはめったにはないめずらしいことを意味し、「めずらしいほどの長生き」を指している。というのも1000年前は現在と違い短命の人が多く、70歳まで生きる人は稀だったといわれている。また、古希祝いに使われる紫色は、古くから気品や風格を備えた色で、特別なことに使われる色だった。つまり、紫色のものを贈るのは、長寿への敬意といたわりの心が込められているのである。
 「喜寿」は、数え年77歳(満76歳)のお祝いを意味する。「喜」の旧字体「㐂」が「七十七」に見えることから、室町時代に始まったお祝いといわれており、本来は厄年のひとつであったようだ。しかし、還暦や古希など中国から伝わってきた長寿祝いの習慣から、喜寿を祝う習慣ができた。古希と同様、喜寿のお祝いもキーカラーは「紫色」である。この色は、心と体の癒し効果もあることから、選ばれているだそうだ。
「傘寿」は数え年80歳(満79歳)のお祝いを意味する。傘寿は「傘」の略字「仐」が「八十」に見えるため生まれたお祝いである。また、傘は末広がりで縁起がいいことも由来とされている。「八十寿」とも言われる。これは喜寿と同様、日本発祥の長寿祝いである。傘寿祝いのキーカラーは諸説あるが、黄(金茶)色、もしくは紫色とされている。
「米寿」とは、数え年で88歳(満87歳)のお祝いを意味する。「米」の字画を分解すると「八十八」となるのがその由来である。「八」という数字は古くから日本では末広がりで縁起が良いとされている。また、瑞穂の国である日本では、「米」は大切なもの。その2つが重なる米寿に長寿をお祝いするようになった。赤や紫より貴い黄色でお祝いし、金色や黄色のちゃんちゃんこや頭巾を贈るのが習わしとされている。
「卒寿」とは、数え年で90歳(満89歳)のお祝いを意味します。卒寿は「卒」の字の略字「卆」が「九十」に見えることから名付けられた。平均寿命が80代までのびた現在でも卒寿を迎えるのは日本の人口の2%未満と少なく、おめでたいお祝いごとである。卒寿を象徴するテーマカラー「紫」、「深紫」、「白」のものでお祝いする。
「白寿」は、数え年で99歳(満98歳)のお祝いを意味する。「白」は「百」から「一」をとった漢字、すなわち100から1を引いた99歳のお祝いを指す。白寿のキーカラーは「白」である。100歳を目前に控え、いつまでも健康であることを祈り、白色のものを贈るといいとされている。
「百寿」は、数え年で100歳(満99歳)のお祝いを意味し、100を意味する漢数字がそのまま使用 されている。百寿は、ほかにも「百寿」、「上寿」「紀寿」とも呼ばれる。「上寿」は長寿を表す最上位を指し、「紀寿」は「100年=1世紀」からこの漢字があてられたといわれている。「百寿」のキーカラーは「白」または「桃色」である。
 なお、寿命を上中下の三段階に分けた三寿という考え方もある。60歳から「下寿」、80歳から「中寿」、100歳から「上寿」といわれ、100歳以上は毎年、上寿祝いをします。祝いの「賀」を用いて「百一賀」「百二賀」ともいう。100歳以上のカラーは特に定められていない。
 また108歳は、「茶」を分けると「十、十、八十八」、足して108になることから「茶寿」、111歳は、「皇」を分けると「白(99歳)、一、十、一」、合わせて百十一になることから「皇寿」、満120歳(数え121歳)は、2回目の還暦を迎えることとなるので「大還暦」、250歳は天から授けられた人の寿命を全うするという意味から「天寿」と呼ばれている。

おわりに
 長寿の祝いとしては以上のようなものが用意されている。徐々に平均寿命も延びてきているという記録もある。長寿の祝いも結構だが、寝たきりで生きながらえて、寿命を延ばしたのでは意味がなかろう。元気に暮らす寿命を「健康寿命」と呼ぶこともある。死の直前まで元気に生きて突然死をするために「ピンピンコロリ」などという運動もあるという。
 介護の施設も充実し、増えているのが実情である。高齢者が不得た結果である。当然のように介護施設にも職員にも、ピンからキリまである。世話に疲れて虐待に及ぶ介護職員もいれば、低賃金にも拘わらず使命感に駆られて献身的に働く人もいる。それは世の常なのだが、介護職員をどんどん増やしてしまって、介護対象の高齢者が減っていった際に、食にあぶれてしまうことはないのかと、他人事ながら心配になってしまう。
 高齢者を大切にしてきた儒教の教えが生きていた時代にも、震災や、火山の爆発は定期的に起こっていたし、コロナのような流行性の病も100年を開かさずに繰り返し流行してきた。災害課の高齢者に立ち直る気力はないだろうが、せめて安穏な生活を送って人生を締めくくれるように願うばかりである。