挨拶は「する」もの?

  挨拶」は「する」ものでいいでしょうか

 名詞に「する」を付けると、サ行変格活用の動詞になるものがたくさんあります。「食事する」「操作操作(そうさ)する」などです。熟語熟語(じゆくご)だけでなく、外来語外来語(がいらいご)にも、「クリックする」「アクセスする」などを挙()げることができます。しかし、中にはおかしなものもあります。「お茶する」はかなり使われるようになってきましたが、どうも違和違和(いわ)感があります。「弁当弁当(べんとう)する」となると、違和感は強くなります。「インターネットする」や「パソコンする」は、今後だんだん普通になるのでしょうが、まだ違和感があります。料理では「お塩する」と言うそうです。塩を振りかけるなら「お塩をする」、どうせなら「お塩を振()る」が一番自然でしょう。

 動作を表す名詞に「する」を付けても違和感は少ないのですが、そうでないものに「する」を付けると違和感が強くなりがちです。ただし、言葉は、生きた人間が使うものですから、時代と共に変化します。

 では、「挨拶」の場合はどうでしょうか。「する」がついて、「挨拶する」という動詞ができます。もうあまり違和感はありませんが、少し違うような気もします。それは「挨拶」は「する」よりも「交()わす」の方が相応相応(ふさわ)しいからです。「挨拶」は、しなくてはならないわけではないと、前号で書きました。返事をかえさなくてもいいのです。そうでありながら、挨拶は本来一方通行ではないという意味を込めて、「する」ではなく「交わす」を使うのがいいのではないかと思うのです。

 人は、一人では生きられず、支(ささ)え合って生きると、人という漢字が表しています。生まれてからすごく長い時間養育してもらわなくては独り立ちできず、成人しても他の動物よりはるかに体力も運動能力も劣(おと)っているのが人間です。生き延びるためには、助け合わなくてはならず、うまく助け合ったからこそ、これほどの繁栄繁栄(はんえい)を勝ち取ったのです。協力するためには、互いをよく知ることが欠()かせません。協力がうまくできない時には、命の危険さえあります。その危機を乗り越えるのが、「挨拶」なのです。こちらから言葉をかけ、返ってこなかったり、返ってきたものが暗かったり、投げやりだったりしたら、協力は成立しません。支えになるはずのつっかえ棒(ぼう)が取り払われて前のめりにこけてしまうでしょう。爽快爽快(そうかい)な挨拶を交わし合うことが一番いいのでしょうが、それだけではなく、期待外れの挨拶を返された時に改めて関係作りが始まるという面もあります。

 ギリギリまで近づいて、相手の思いや状態を探ることに始まり、その後でより心地心地(ここち)よい在()り方を探る関係作りを始まるきっかけとなるのが「挨拶」なのです。強制されないからこそ表面的な取り繕(つくろ)いが必要なかったのです。挨拶には自然と感情や態度が表れてしまうのです。その結果人が支え合うために不可欠なものとなりました。弱い人間だからこそ、仲間作りを諦めるわけにはいかなかったのです。

  普段の挨拶の意味を見直してみよう

 では、普段よく使う挨拶には、どんな意味が込められているのでしょうか。

 1.おはようは漢字で書くと「お早う」となります。

  この挨拶は、朝自分より先に出てきた人に、後から来た人が、「お早いですね」と言うことです。早く来られるのは元気な証拠証拠(しようこ)で、「お元気で何よりです」という意味です。「いつもより少し遅いな」「何だか様子がおかしいな」といったことを、挨拶と共に感じ取ることが重要なのです。

  ※ 芸能界では、何時に会っても挨拶は「おはようございます」を使うと言われています。その理由は

 次の二説が代表的です。ホテルマンや飲食業でも使われます。

  (1) 挨拶は、通常、朝に「おはようございます」、昼に「こんにちは」、夜が「こんばんは」です。この中

   で敬語にできるのは「おはようございます」だけだからだというのが一つ目の説です。目上の人への

   挨拶としては、敬語敬語(けいご)が望ましいので、挨拶は常に「おはようございます」になったというのです。

  (2) もう一つは、歌舞伎歌舞伎(かぶき)から広まったというものです。歌舞伎役者は出番前の準備のあの独特な化粧化粧(けしよう)

   にも衣装衣装(いしよう)にも長い時間がかかります。そのために役者は楽屋楽屋(がくや)に早い時間帯に入ることになります。

   出番出番(でばん)前に練習のために、早めに楽屋入りする役者もいましたから、そうした役者をねぎらうために、

   裏方裏方(うらかた)さん達が「お早いお着きで」という言葉をかけたのが始まりだというのです。

 2.こんにちはは漢字で書くと「今日は」となります。

 「今日は」は、もともとは、「今日はご機嫌機嫌(きげん)いかがですか」「今日は良いお天気ですね」といった、日中の挨拶の後半が省略省略(しようりやく)されたものです。それに対しては「今日は非常に気分爽快爽快(そうかい)です」「今日は本当に良いお天気ですね」といった挨拶を省略したのです。このやりとりで今の相手の状態を理解したのです。

 3.こんばんはは漢字で書くと「今晩は」となります。

 「今晩は」夜の挨拶であり、「今日は」と同じように今の相手の状態を知ることができます。

 4.さようならは漢字で書くと「然様なら」となります。

 「然様なら」というのは、人と別れる時の挨拶です。「然様」というのは、「さようならば」「そういうことならば」といった意味で、「それじゃ」に当たります。それに続く「お別れですね」「ご機嫌よろしく」などと共に「ば」も省略された言葉です。これでお別れしますが、お互いにやり残したこと、言い残したことがないかどうかを確かめ合うのです。相手にまだ心残りがあると感じた時には、すぐに別れずに相手の気持ちを改(あらた)めて確かめるというきっかけにもなったのです。

 5.ありがとうは漢字で書くと「有り難う」となります。

 「有り難い」は、「有り難し」という形容詞がウ音便音便(おんびん)となったものです。「滅多滅多(めつた)にない」という意味で、平安時代から使われてきました。「枕草子枕草子(まくらのそうし)」にも、「ありがたきもの」は、「姑(しゆうとめ)に褒()められる嫁」「上司の悪口を言わない部下」「欠点のない人」など、まさに「存在しがたいもの」が挙げられています。それが中世になって仏教思想が広まると、神仏によって起こされる奇跡奇跡(きせき)で、「滅(めつ)()に起こらないような貴重貴重(きちよう)なできごと」の意味となりました。あり得ないほどの喜びを表す言葉として、感謝の気持ちを示したのです。

 6.いただきますを漢字で書くと「戴きます」「頂きます」となります。

 身分の高い人から物をもらったり、神様に供えた物のお下がりを受ける際に、頭の上に戴く(頂く)ような動作をしたことから、「頂く」というのが「物をもらう」という意味になりました。また、頂いたものは食べたり飲んだりすることが多かったので、「食べる」「飲む」の謙譲謙譲(けんじよう)語として使われるようになったのです。その後食べ始める前に「頂きます」という言葉が挨拶として使われるようになりました。

 また、もともと食材の肉や魚、野菜などすべてのものに「命」があります。その命を大切にしようとする気持ちから生まれたのが「頂きます」です。食事の前に、食材である「命」に「あなたの命を私の命に替えさせて頂きます」という意味で手を合わせ、頭を下げて、感謝の気持ちを表したのです。あなたに代わって、よりよい生き方をしますという誓(ちか)いが込()められているのです。

 さらに食事を頂くには、食材を育て揃(そろ)えてくれた人や調理調理(ちようり)をしてくれた人など、食事が提供提供(ていきよう)されるまでに関わってくれたたくさんの人々の「命」の時間を頂いたという意味も込められています。目の前にある食べ物がどれほどの人々に支えられているかを想像できるかどうか試(ため)されているのです。

 7.ごちそうさまでしたを漢字で書くと「御馳走様でした」となります。

 「御」は丁寧丁寧(ていねい)語で、「様」は尊敬語です。「馳走」を丁寧に、感謝を込めて言ったのが「御馳走様」です。「馳走」の「馳」も「走」も走ることで、二つ重ねて走り回るという意味です。

 仏教では、「韋駄天韋駄天(いだてん)」が走り回ります。韋駄天というのは、仏教や仏教徒を守る神様の中の一人です。お釈迦様が亡くなられた後、仏舎利仏舎利(ぶつしやり)を盗んだ者を韋駄天が追いかけて取り戻したという俗話俗話(ぞくわ)から、韋駄天は足が速いといわれるようになりました。その韋駄天が、お釈迦様のために駆け回って食材を集めてきたという話から他人の食材を集めるために走り回ることが「馳走」のもともとの意味でした。それがやがて「馳走」は、他人のために奔走奔走(ほんそう)し、功徳功徳(くどく)を施(ほどこ)して苦しんでいる人を救う意味になりました。

 「馳走」の中国でのもともとの意味は、「馬を駆()って走らせる」「奔走奔走(ほんそう)する」という意味でした。これが日本に入ってから、世話をするために駆け回ること、面倒面倒(めんどう)を見ることといった意味 が生まれ、さらに、準備するために駆け回る、心を込めたもてなしをするという意味となったのです。

 かつてはもてなしの中心は食べ物でした。現代のようにコンビニやスーパーがどこにでもあり、簡単に食材を手に入れられる時代ではなく、おいしい食材を集めるためにはそれぞれの産地である海や山などへ馬を走らせて、大変だったのです。大変な苦労の末にもてなしてくれることに対して、感謝の気持ちを込めた結果、「馳走」に接頭語の「御」と接尾語の「様」を付けて深い感謝の意を込めた言葉だったのです。

 8.すみませんは漢字で書くと「済みません」です。

 「済みません」は、謝罪謝罪(しやざい)や感謝の言葉です。「済む」というのは、「仕事を終える」「気持ちが収まる」「満足する」といった意味です。それに丁寧語の「ます」を付けて、否定したのが「済みません」です。まず謝罪の意味では、自分がしでかしたことに対して、この程度の謝罪では、「自分の気が済まない(気持ちが収(おさ)まらない、満足しない)」という意味を表します。また反対に相手がしてくれたことに対して、大変有り難いのに「たいしたお礼もできずに、気持ちが収まらない」という意味にもなります。どちらにしろ、相手に対して自分の側のしたことのマイナス面が大きすぎ、全く釣()り合いが取れず、このまま放っておくことはできないという意味なのです。ですから、本当は「済みません」は終わりではなく始まりでなくてはならないのです。自分のミスを謝ったからおしまいなのではなく、「これでは済まないので、これから更(さら)にこうします」ということです。あるいは、あまりにも有り難くて「このままでは終われないので、今後このようにします」ということになるのです。しかし、実際には謝罪したり感謝したりで終わったと思い込んだり、それで済ませてしまいがちです。せめて、その出来事が「済んで」しまっても、その後の二人の関係を深めたいものです。

           2023年4月(卯月)17日(月)        (Aprir17th・閏如月27日)