こどもの日とは

                                                            

 まもなくゴールデンウィークがやってきます。夏休みや冬休みに次ぐ、長い連休になる期間のことです。今年は、4月29日(土) 昭和の日                                                      

                    30日(日)                                                               

               5月2日(火) 開校記念日                                                     

                 3日(水) 憲法記念日                                                     

                   4日(木) みどりの日                                                     

                   5日(金) こどもの日                                                     

                   6日(土)                                                                 

                   7日(日)                                                                 

と、5月1日(月)を挟んで2連休と6連休が続きます。このなかに「こどもの日」が含まれています。 

 この日はどんな日なのでしょうか。普通「男の子の日」と思われています。これに対して「女の子の 日」は3月3日のひな祭りとされることが多いようです。ところが、5月5日は国民の祝日ですが、3月3日はそうなっていません。これはなぜなのでしょうか。                                   

 現代では5月5日は「こどもの日」として祝われています。この日はもともとは、五節供五節供(ごせつく)の一つの端午端午(たんご)の節句に当たります。端午の端は、「はじめ」という意味で、「端午」とは5月の最初の午の日のことでした。(干支は年が有名ですが、時間や日にちにも付けられ、ちょうど午の時刻が正午です。)それが、午という文字の音が五に通じるので、奈良時代以降、5月5日が端午の節句として定着してきました。なお、中国の古い暦では、十二支の寅から1月が始まったために、午(うま)は5月で、午の月の最初の午の日が5日だったとも言われています。さらに、古代の中国では、奇数奇数(きすう)を陽と考えて、縁起縁起(えんぎ)の良い日としていたのですが、月と日にちで奇数が重なる日は、逆に「強い陰(いん)をなす日」として恐れられ、身を清めて、お供(そな)えをする日とされてきました。それが五節供で、1月1日(元旦)、3月3日(上巳上巳(じようし))、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽重陽(ちようよう))で、端午の節句はその中の一日だったのです。  

 江戸時代に入り、勢力の中心が貴族から武士に移ると、江戸幕府は五節句を「吉祥吉祥(きつしよう)の日」として公式の祝日としました。公家公家(くげ)の間では古くから「ひな人形遊び」が盛んで、上巳の節句(3月3日)と結びついて、武士や庶民庶民(しよみん)の間にも広まり、雅(みやび)な女の子のお祭りとして定着していました。それに対抗するように、端午の節句が男の子のお祝いとされるようになりました。これが男の子の節句となったのは、端午の節句と菖蒲菖蒲(しようぶ)が結びついていたことに始まります。旧暦の5月5日は、今の6月頃で、梅雨入り前の暑い季節でした。そのためこの時期に、しまってある鎧甲鎧甲(よろいかぶと)を縁側縁側(えんがわ)などに出して、虫干虫干(むしぼ)ししました。またこれからやって来る夏の暑い日々を乗り越えるための知恵で、厄払厄払(やくばら)いに菖蒲を用いたのですが、その菖蒲の形が、勇壮勇壮(ゆうそう)な剣(けん)に見立てられたのです。音の「菖蒲」も、武を重んじる「尚(しよう)()」と同じであることから、「端午の節句」である「菖蒲の節句」は、「尚武の節句」として武家の間で盛んに祝われるようになりました。この節句は、家の跡継跡継(あとつ)ぎとして産まれた男の子が、無事成長していくことを祈り、一族の繁栄繁栄(はんえい)を願う重要な行事となったのです。3月3日のひな祭りが、女の子の節句として花開いていくのに呼応呼応(こおう)するように、5月5日の端午の節句は、男の子のための節句として定着していきました。                              

  端午の節句に飾るもの 

 端午の節句に飾るものの代表は、鎧甲鎧甲(よろいかぶと)と鯉(こい)のぼりです。            

 (1) 鎧や甲                                                           端午の節句という男の子のお祝いに鎧や甲を飾ることは、武家社会から 生まれた風習だからです。戦では命がけの戦いをする武士が、身の安 全を 願って神社にお参りする時に、鎧や甲を奉納奉納(ほうのう)する仕来仕来(しきた)りに由来由来(ゆらい)しています。 鎧や甲は「戦争の道具」には違いありませんが、武将武将(ぶしよう)にとっては自分の身 を守る大切な道具であり、シンボルとしての精神的な意味がある大切な宝 物でした。現在では、鎧や甲が身を守るものであるところから、交通事故 や病気から大切な子供を守ってくれるものとして飾られています。      

 (2) 鯉のぼり

   鯉のぼりは、江戸時代に町人階層から産まれた節句飾りです。もともと は、男の子が産まれると、幟(のぼり)や旗指物旗指物(はたさしもの)を掲げてお祝いしました。最初は吹き流しだけだったものが、 鯉は清流は勿論勿論(もちろん)、池や沼でも 生育することができる、非常に生命力の強い魚であり、その鯉が急流を  遡(さかのぼ)り、龍門龍門(りゆうもん)という滝を登ると龍になって天に昇るという中国の伝説にちなみ、子供がどんな環境にも耐() え、立派な人になるようにと、立身出世立身出世(りつしんしゆつせ)を願って飾ることになっていきまし た。梅雨梅雨(つゆ)前に飾られ、梅雨の到来到来(とうらい)と共に片付けられる鯉のぼりですが、時と して大雨の中に取り残されることもあったに違いありません。それこそが 鯉 の滝登りを連想させてもおかしくはなかったのではないでしょうか。ちなみ に7月7日の七夕が梅雨明けの行事だったのです。                                

  お祝いの仕方                                               端午の節句のお祝いは、本来5月5日の節句の当日 に行うのですが、前の晩に共に祝う方々をお招きして お祝いするのも構わないとされています。前の晩にお 祝いすることを「宵(よい)節句」と言います。お招きするの は、両親それぞれの父母(祖父と祖母)や、親類や普段 から親しくしている方々です。                        御馳走として振る舞うものは、鯉や栗(くり)、ちまきや 

  柏餅柏餅(かしわもち)がつきものとされています。また、端午の節句と菖蒲は切っても切れないものです。菖蒲は、悪鬼悪鬼(あつき)  を払うと言われ、家の屋根の軒先軒先(のきさき)に指したり、お酒に浸して菖蒲酒にして飲みます。また、菖蒲を枕  の下に敷く菖蒲枕や、浴槽浴槽(よくそう)の中に入れて入る菖蒲湯も昔から行われてきました。いずれも、体に悪い気 がつくのを防ぐという意味で行われてきた習わしです。                                       

  初節句とは                                                                     

   端午の節句の中でも、男の赤ちゃんが産まれて最初に迎える5月5日 は、初節句と言われます。女の子には3月に羽子板が贈られるのに対し  て、男の赤ちゃんが、丈夫に、逞(たくま)しく成長するように願いを込めて、五  月人形を贈ります。もともとは、お嫁さんの実家が贈ることになってい  たのですが、現在ではそうとも限らなくなっています。なお、鯉のぼり  は、親戚の方や知人から贈られることが多いようですし、その他友人知  人からは、金太郎や桃太郎の人形が贈られることもあります。 

   なお、初節句のお祝いに対するお返しは、一週間以内に、ちまきを贈るのが正式です。子供の名前で 「内祝い」とします。ちまきを避けたい時は、お赤飯赤飯(せきはん)や紅白の角砂糖を代用するようです。       

  男の子の祝日だけが祝日となった理由                     

  3月3日の桃の節句は女の子の日、5月5日の端午の節句は男の子の日、とされることが少なくあり ませんが、なぜ5月5日は祝日なのに、3月3日はお休みではないのでしょう。それは「節句」と、祝 日法で定められた「国民の休日」が別のものだからです。                                     

  元旦や成人の日、敬老の日などの「国民の祝日」とされている休日は「国民の祝日に関する法律(祝 日法)」によって定められています。その法律では、5月5日のこどもの日に関しては、「こどもの人格 を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日とされているのです。             

  もともと日本には五つの節句があります。江戸時代は五節句全てが式日(祝日)でしたが、新暦の採 用に伴い、一度全て廃止されてしまいます。ところが戦後になって、日本に新たな祝日を設けようとい うことになりました。当初は桃の節句も端午の節句も祝日とする案が出ましたが、議論の結果、5月5 日を「こどもの日」として男女関係なくお祝いすることしたのです。気候が暖かくなる時期だからお祝 いに向いているなどというあまり理由にならない理由が挙げられています。いずれにしろ、男の子の日 だけを祝日にしたというわけではないのです。                                       

  この決定については、当初から異議異議(いぎ)が申し立てられていました。たとえば、祝日法公布の翌年に発行 された書籍(「暦と生活」 三省堂編集所 編)には「女の子の日と男の子の日を合流させるのは難しい だろう」という記述がありました。実際に、ひな祭りと端午の節句は別物として私たちの生活に残った ため、5月5日だけを祝日としたことに違和感を唱えていました。                         

  また、同じ書籍には「今後飾るなら武者人形ではなく、聖徳太子・菅原道真・二宮金次郎・野口英  世など文化人を飾ってはどうか」という提案もされていました。悲惨悲惨(ひさん)な戦争を反省するとともに、文  化的な日本を創っていこうという意思が感じられますが、結果的には、この新たな提案も根付かなか  ったようです。これが戦争に懲りたことが薄らいだ結果でないといいのですが。       

  果たして「こどもの日」は、男女の祝日として迎えるのがいいのかどうか、桃の節供も祝日にすべ  きかどうか、今後も考えるべきことです。                                                     

執筆日        2023年4月(卯月)28日(金)        (Aprir28th・弥生9日)