干支の話

  十干の話

 「干支干支(えと)」といって多くの人がすぐに思い浮かべるのは、その年の動物でしょう。実はこれは「干支」の一部なのです。本来干支というのは、「十干十二支十干十二支(じつかんじゆうにし)」を略した言葉で、「十干十干(じつかん)」の「干()」と「十二支十二支(じゆうにし)」の「支()」を組み合わせです。古いのは「十干」の方です。原始時代、人が数を数える必要が生まれてくると、自然と手の指を数えるための道具としました。指は左右合わせて十本です。ここに十進法が生まれたのです。紀元前3000年頃で、西洋の数字はまだないので、中国では漢字を順番に当てはめました。それが「甲」「乙」「丙」などです。ここに使われた漢字は、もともと植物の生育状態を示したものです。

 ・甲・・・甲(かつ)(ちゆう)の「甲」から、種子がまだ厚く、固い皮を被っている状態で、物事の始まりを示します。

 ・乙・・・元は軋(きし)る意味で、草木の芽が幼く屈曲している様子を表しています。

 ・丙・・・元は明かという意味で、草木が生長してその姿がはっきりしてきた様子を表しています。

 ・丁・・・「壮丁壮丁(そうてい)」とは壮年の男子という言葉があるように、大きくなり充実してきたという意味です。

 ・戌・・・「茂る」を表す文字で、草木が盛大に繁茂している状態を表しています。

 ・己・・・「紀」は「筋」の意味で、草木が充分に繁茂し、条理が整う様子を表しています。

 ・庚・・・元は「更」で改まる意味です。草木が成熟し、成長が止まり、新たな物に変化する様子です。

 ・辛・・・元は「新」(新たな)の意味です。草木が枯れ、新しくなろうとしている様子です。

 ・壬・・・元は「妊(はら)む」という意味です。草木が種子となった新しい生命をその内に妊んだ様子です。

 ・癸・・・元は「測る」という意味です。種子の中で新たな生命が徐々に形作られ、再生までの時を測れる    までになっている様子を表します。

  これが干支と関わりを持つのは、五行説(紀元前2000年前)が生まれ、陰陽五行説(紀元前300年前)

 となってからのことになります。

  十二支の話

 「十二支」というのは、「子」「丑」「寅」「卯」「辰」「巳」「午」未」「申」「酉」「戌」「亥」の12種類のことです。子は鼠年、丑は牛年といわれますが、すべて仮に動物に当てはめたもので、本来動物の名ではないのです。

 実は紀元前の中国で、暦や時間を表すために使われていた、数を表す文字だったのです。これも西洋数字は、まだない時代でした。普通の生活で、私たちは十進法を使っていますが、コンピューターの世界では二進法が使われます。それと同じように、紀元前の中国では十二進法が使われていたのです。十二進法は、意外にも私たちは今も自然に使っているのです。一年は十二ヶ月ですし、一日は24時間で、半日が12時間です。今でも、午前、正午、午後には「午」が使われますし、方向も東西南北を更に三つずつ(例えば、東と南の間は、東東南、東南、南南東)に分けて、全部で十二通りで示します。

 もともと十二支と動物には何の関係もなかったのですが、それを動物に当てはめられたのは、汪充汪充(おうじゆう)という人です。この十二支を庶民にも浸透させようとして、親しみやすい動物と関係づけたのです。それぞれの動物が選ばれた理由は、次のように語り継がれています。

 (1)子・・・鼠は繁殖力が高く子孫繁栄の意味を込めて。

 (2)丑・・・重い荷を運び、畑を耕す、生活に欠かせず、力強さ、粘り強さの象徴として。

 (3)寅・・・勇猛果敢で、決断力の早さや才覚のある様子を表して。

 (4)卯・・・大人しく穏やかなところから、安全の象徴であると同時に、飛躍や跳躍の象徴として。

 (5)辰・・・唯一想像上の動物だが、古代から権力の象徴とされてきた。

 (6)巳・・・脱皮を繰り返して成長するところから、永遠の生命と、再生の象徴として。

 (7)午・・・生活に欠かせない牛と馬のうち、粘り強い牛に対して、健康や豊作を象徴するとされた。

 (8)未・・・群れで生活するところから、安全の象徴とされた。

 (9)申・・・知能が高く、神の使いで、賢者の象徴とされた。

 (10)酉・・・酉のなかでも鶏は、「酉の市」として、商売繁盛を象徴。

 (11)戌・・・生活に密着した動物のなかでも特に主人に忠実であることの象徴。

 (12)亥・・・猪の肉は万病に効く無病息災の象徴であり、猪突猛進の一途さから。

 これらの動物それぞれに意味が込められたと同時に、選ばれた理由を説明したおとぎ話も伝わっています。それは、ある時神様が「1月1日の朝、1番から12番までに到着した動物を1年交替で動物の大将にする」と手紙を書き、到着した順に干支が決まったというものです。ついでに、身近な動物で選に漏()れているものについても補足されています。まず、身近な動物の代表である「猫」がいないのは、鼠に騙されて、翌日に出発したためで、それを恨(うら)んで今でも猫は鼠を追いかけているというのです。狸は、途中で居眠りをしてしまって12番までに入れなかったということで、そこから「狸寝入り」という言葉が生まれたといいます。また、犬と猿が仲が悪い(犬猿の仲)のは、途中まで協力していたのに、最後に先を競って夢中になりすぎ、大喧嘩喧嘩(けんか)をしたことが後を引いているというのです。こじつけですが、何とも楽しめる話になっています。

  十干十二支について

 子、丑・・・という十二支が毎年付けられ、「今年は子年だ」と12年で一回りします。これに更に甲、乙・・・という十干が振り分けられたものが暦です。

 十干は、「陰陽説」と「五行説」(夏王朝の創始者兎()による)が合わさって10を表しているとされています。陰陽説ができたのは紀元前30000年頃と言われ、これはすべてのものは「陰」と「陽」からできているとするものです。「昼・夜」「前・後」「右・左」「上・下」「偶数・奇数」「男(雄)・女(雌)」「表・裏」といった具合です。五行説が生まれたのは紀元前2000年頃と言われ、すべてものは「木、火、土、金、水」という5つの要素でできているとする説です。これは「水」を吸って「木」が育ち、「木」を燃やして「火」が栄えます。「火」は燃えると「土」になり、「土」のなかから「金」属が生まれます。「金」属は溶けると「水」に戻るといった具合です。さらにこれら五つの元素は、輪になっており、隣同士互いに影響し合い(「相生相生(そうじよう)」関係という)ます。隣同士は互いに補い合う関係にあり、ここから「相性がいい」という言葉も生まれました。また、一つ飛ばすと関係は変わります(「相克」関係といいます。)。「水」は「火」を消し、「火」は「金」属を溶かします。「金」属は、「木」を切り倒し、「木」は「土」から養分を吸い取ります。「土」は「水」をせき止めることができます。じゃんけんのように誰が強いのではなく、五つの元素が互いに勝ち負けしながら同じ価値を持つというもので、幼稚とはいえ、現代の元素に似た考え方とも言えます。

 この二つを合わせた「陰陽五行説」ができたのは、紀元前300年頃(斉(せい)の思想家鄒衍鄒衍(すうえん)による)と言われています。万物を作り上げる5つの要素それぞれに陰陽があり、10の要素がこの世を作り上げているとする説です。奈良時代に日本に陰陽五行説が伝わると、「陽」を「兄()」、「陰」を「弟()」の字を当てはめ「兄弟」とし、それを更に十干に当てはめたのです。

  「木」の「兄」が「甲(きのえ)」、「木」の「弟」が「乙(きのと)」、

  「火」の「兄」が「丙(ひのえ)」、「火」の「弟」が「丁(ひのと)」、

  「土」の「兄」が「戊(つちのえ)」、「土」の「弟」が「己(つちのと)」、

  「金」の「兄」が「庚(かのえ)」、「金」の「弟」が「辛(かのと)」、

  「水」の「兄」が「壬(みずのえ)」、「水」の「弟」が「癸(みずのと)

 この結果、子年の陽の年は「甲子」、亥年の陰の年は「辛亥」といった具合に十干十二支が割り振られ、暦が完成しました。そしてすべての年回りを終えることが「還暦還暦(かんれき)」と呼ばれたのです。

  還暦が60年である理由

 さて、十干の10と、十二支の12を組み合わせると、すべての組み合わせには120年かかりそうです。ところが還暦は60年です。「順番に並べる」とそうなります。干支の並べ方は、子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥という十二支が毎年順番にやってきます。子年が二年続くということはありません。同様に、陰陽も一年交替にやってきます。陽の年が二年続くということはありません。そこで十二支に十干を「順番に」当てはめていくと次のようになり、当然十二支が二つ余ります。

 甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戌辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、①戌、②亥、この①②の所には、十干は前に戻って、①には「甲」が、②には「乙」が入ります。従って二巡目は「丙」から始まり、四つ余ります。つまり毎年十二支が二つずつ余り続けることになり、

  甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戌辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、甲戌、乙亥・・・・(ア)

   丙子、丁丑、戌寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未、甲申、乙酉、丙戌、丁亥

  戌子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳、甲午、乙未、丙申、丁酉、戌戌、己亥

  庚子、辛丑、壬寅、癸卯、甲辰、乙巳、丙午、丁未、戌申、己酉、庚戌、辛亥

  壬子、癸丑、甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戌午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥

となり、次の年(6巡目)には下のように最初の年と同じ干支に戻ります。

  甲子、丑乙、寅丙、卯丁、辰戌、巳己、午庚、未辛、申壬、酉癸、戌甲、亥乙・・・・(ア)

つまり、十二支が五年間で一回りするのですから、60年で還暦を迎えるということになります。もちろん、この組み合わせでは、「甲子」や「乙丑」はあっても「乙子」「甲牛」などはありませんが、これが「順番に並べる」というルールであり、その結果なのです。

 最後に、干支は古くさく、現在人には関係ないものと思いがちですが、干支の名が付いたものは歴史上たくさんありますし、今日でも頻繁頻繁(ひんぱん)に使われています。最も代表的なものに「甲子園球場」があります。1924年、甲子の年に完成した球場で、高校野球のメッカとしても有名です。他に、「乙巳」の変、「戊申」戦争、「辛亥」革命、「壬申」の乱など歴史上の事件等が挙げられます。また京都八坂の「庚申」堂なども挙げられます。

執筆日          2023年12月22日(金)                   (Decembe22th・霜月10日)