復讐せずとも済む道は
1
たぶんここでいいんだよな。いいと思うんだけどなあ。独りごちしながら行き来したのは、クラスの友達の家だ。クラスメートではありながら、家を訪ねてきたのは初めてだった。
その家は、もともとはパン屋だったので、商店らしく、軒の上一面が白く塗られて屋号らしき看板になっていた。「ながしまベーカリー」と書かれているはずである。「はず」というのは、今や白地だったはずの「看板」はあちこちはげ落ち、白い部分の方が少ないくらいだったし、文字もほとんど欠けてしまっていて、知っているから読めるものの、知らない人が見た限りでは何と書いてあるのかわからなかっただろう。それは「ながしま」「なかじま」か区別ができないといったようなレベルではなく、そもそも字が書かれているのかどうかさえもわからないほどに朽ちていた。つまり、屋号を示すような看板にはとても見えないということである。
幅一間はあろうかという木枠の大きめのガラス戸が3枚、互い違いにはめ込まれ、間口は締め切られていた。レールに沿って引いてみたがガタガタ音がするだけで動かなかった。いや、無理やり引けば開きそうだった。というよりちょっと力を込めれば、簡単に壊れてしまいかねないような状態だった。ガラス戸同士も敷井とガラス戸の間も、隙間だらけなのは扉も家も傾いてしまっているからだった。それでも一応鍵は掛けられていて、戸締まりはされているようだった。形だけは施錠してあることによって、店は開いていないということを示しているのだろうが、そもそもこのパン屋へ買い物に来る者などいるのだろうか。出は何のために締め切られているのだろうか。勝手に入るなということだろうし、訪問者が誰であろうと会うのを拒んでいるということだろうか。空き巣や泥棒に入るにしても、どう見ても金目のものがあるようには見えないので、用心するとしたら盗みに対してではなく訪問者との面会であろう。朽ちかけた玄関が、病床から掠れた声を振り絞って、必至で「帰れ」と叫んででもいるかのように思えてきた。
ガラスはことごとく薄汚れていて、しかも昼間だというのに薄暗いのも手伝って、中の様子はよく見えなかった。かろうじて、かつてはパンが並んでいたのだろうショーケースが並んでいるように見えた。商品棚はほぼ空っぽである。上には飴か煎餅でも入っていたのだろうか、これまた空っぽの丸い壺型の大きなガラス瓶がいくつか並んで、ケースの上に置かれている。こじ開けようとすればできなくもなさそうだが、無理強いするのはやめにして、沸きに回った。
右手に細い路地があって、人がかろうじて通れる幅の通路がある。その先は狭い庭になっていた。雑草が生え放題になっていて、かつては物干し竿出会ったと思われる柱と竿竹とサルマタらしいものが見える。ここもまた勝手に入り込むのは躊躇され、遠目に眺めるだけにした。むやみに踏み込めば、何もかもが粉々に崩れてしまいそうに見えたからだ。庭の向こうに縁側風の出入り口があるが、そこの戸もぴたりと閉められているようだった。
そのほかは隣家に阻まれて様子を探ることもできなかったが、ややかしいでいるように見える傷んだ家に、人の気配はなかった。頑丈ではないが、凜として入り込むことも近寄ることも拒絶しているかのようであった。
かろうじて入り込まれることを拒絶しているといった風情だから、力ずくで無理やり入り込むことは実に簡単に思えた。それでもそうすることを躊躇したのはなぜだろう。勝手に入り込んだことを誰かに見られたら、泥棒と間違われると思ったからだろうか。確かに不審者には違いないが、しかし、わざわざこの家を選んで侵入する泥棒がいるだろうか。泥棒から財産を守るために通報する者がいるとは思えなかった。
今日ここを尋ねてみたのは、ここの一人娘である長島君子が、学校に来なくなって半月以上が立ってしまったからだ。しかも来なくなったのはあのことがあって以来だ。来なくなってしまった理由は、本人から聞かなくても分かっていた。問題は本人がどうしているのかということだった。
2
君子とは中学校に入って同じクラスになった。小学校は隣町の別の小学校だったから、幼い頃からの知り合いというわけでもない。
君子の評判は、はっきり言ってあまりよくなかった。いわゆる「不良」だ。パーマを掛けていたというわけでもないのだろうが、髪はくるくると巻き上げられ、臍がでてしまいそうな短いセーラー服の上着に、地面を引きずり壮なほど長いスカートをはいていた。放課後の体育館の裏や夕暮れの公園で煙草を吹かしている姿を見たという者もいた。
ぼくは、二年生から生徒会長をしていた。それなりに勉強もしたし、部活動にも熱心に取り組み、生徒会活動として募金活動を計画したり、当時校則で強制されていた坊主頭を長髪に変えようという運動にも取り組んでいた。喫煙はもとより、シンナー(あんパンと呼ばれていた)にも無縁であり、不良が横行する学校の中では真面目な方だったと思う。それでも地域柄か、ケンカは派手にやらかした。周りの連中が、ちょっと肩が触れたとか、メンチを切ったといったようなどうでも良さそうなことでケンカするのとは違って、たとえば、赤い羽根の募金を横取りされて、卒業生と大立ち回りをして取り戻してしまうようなことは、彼らや卒業生達の大いに逆鱗に触れるようだった。そんな目立っていることが気に入らないのか、同級生を通じて先輩に体育館の裏に呼び出されることもしばしばだった。そこでは「同級生とのタイマン」という名で、必ず袋だたきにされた。同級生との一対一の喧嘩という形を取ってはいるが、周りを20人以上に囲まれ、折を見てはどこからともなく殴る蹴るの手出しをしてくるので、どうやっても勝ち目はなく、抵抗すればするだけ時間が長くかかるだけである。だから呼び出された時には一切抵抗せずに、やられ放題となり、少しでも早く終わるように心がけた。もちろんそんな翌日には、顔中、体中字だらけで登校することになる。しかし、親も教師も無関心なもので、親はまた喧嘩したと頭から決めつけて事情を聞こうともしないし、教師は一応確かめてくるが、「階段から落ちた」といえば「気をつけろよ」ひと言で何事もなかったかのように済まされる。もちろん階段から落ちてそんな傷になるはずもないのは、誰が見てもわかりそうなものだが、それで十分、深入りしないということなのである。教師にしても、正面から不良の在校生を相手にするのは面倒だったのであろう。そこに卒業生が絡んでくればなおさらである。ヤクザの使いっ走り担っている者も少なくないのである。もちろん二十歳前の使いっ走りに過ぎないとはいえ、揉めればすぐに兄貴分が登場してくるのはいつものことだった。時には、隣町の中学生をけしかけて大喧嘩になるように因縁をつけさせることもしばしばだった。お蔭で何だか意味が分からないケンカに巻き込まれることも少なくなかった。偉そうなことをいっても、普段からどうでも良いようなケンカをしている奴に過ぎないというレッテルを貼ることはできたのだろう。
君子は、険しい顔で友達と喧嘩したり、親や教師にくってかかることは少なくなかった。しかし、なぜかぼくに対しては素直だった。「ダメだよ、煙草なんか吸っていちゃ」といえばすぐに投げしてたし、「アンパンなんか絶対に手を出すなよ」ということは、頑なに守っているということだった。
だからといって君子と特別な付き合いがあったわけではなかった。今ならすぐに「告白」などといったことになるのだろうが、当時は異性を好きになるなどということは「御法度」だった。といっても人によってそれぞれだったことは確かである。すぐに秘密を明かしてしまうような奴もいた。むしろ不良仲間の間では、「言うなよ、絶対秘密だぞ」が「あちこちに言いふらしてくれ」と同じ意味であるかのような連中の中には多かったようである。そういう連中の間では、好きな相手をバラされても平気でいられることが男らしさででもあるかのように振る舞われていたようだ。硬派を気取ってはいるものの、中味が軟弱に腐っている、悪習がぷんぷんする連中だったのだ。
本当なら「どうやらあいつはあの娘が好きらしい」などといわれてしまったら、さんざんはやし立てられ、何かにつけて噂の餌食になり、長期間に渡って陰湿ないじめの対象となった。だから好きな娘ができても誰にも知られてはならなかった。親友にさえ打ち明けるなどということも、絶対になかった。一人密かに思い続けるというのが、美学だった。映画の中では、鶴田浩二も高倉健もそうしていた。それどころか根も葉もなく好きな娘をあげつらわれてしまえば、好きではないという証拠を見せるために、その娘に酷いことをする羽目になることもあった。もっと悲劇なのは、本心では密かに好きだった相手を、どうした弾みか言い当てられてしまった時である。本当は好きなのに、嫌いだという証拠を見せるために、その娘に心にもない酷い仕打ちや言葉を投げかける羽目になってしまうのである。
本心ではなぜか君子に惹かれるものがあった。しかし、誰がどう見ても似合いのカップルではなかったのだろう。誰も想像もしなかったからか、一切噂に上る気配はなかった。しかし君子は、不良で怖れられ、悪さばかりをしているようでありながら、意外に素直でよく見るととてもかわいらしかった。ギャップ、ひいきの引き倒し、自分だけが知っているという秘密といったものが魅力だったのだろう。実際に君子は噂のような女の子ではなかった。
君子に対して無防備だったことも功を奏したのかもしれなかった。君子のことが好きだということがばれないようになどという気持ちは微塵も持ち合わせなかったのだから、何時も君子に対しては自然体でいられた。
3
君子の家は、隣町でパン屋を営んでいた。両親はおらず、おばあちゃんと二人暮らしだった。パン屋はあまり繁盛しておらず、経済的にはかなり困っているようだった。給食費や教材費でお金を集める時にも、持ってきたことは殆どないようだった。家庭環境や経済状況など、子供のぼくにははっきりとしたことはわからないが、大人達の対応が何となく嫌だということは肌身に感じられた。何となく、君子が嫌な思いをしているように感じられた。はっきりした原因がつかめたというのではないが、何となくあれでは反発しない方がおかしいという気がした。今にしてみれば、君子をぐれさせた大きな原因が何となく捉えられたのだと思われる。本当は素直なのに、それが真っ直ぐに発揮出来ない、いわば犠牲者だという思いが余計に君子を魅力的にしたように思う。最初は同情に近いものであったかもしれないが、それは君子を可愛そうだと思うというのとは違い、同調し、思いを同じくするものであった。自分もまた何かにつけて誤解され、わかって貰えないものをたくさん持っていると、常に不満をもっていた。けがの原因はそんなところにはない。本当の自分はそんなものではない、といった思いが君子にもあるような気がしてならなかった。誰にも知られず、密かに、宝石よりもうずっと美しいものを内に秘めているのが君子だという思いが強かったように思う。
4
まさか、「男女ゆう十五にして席を同じうせず」などという古くさい伝統が残っていた訳でもないだろうが、それでも今よりはずっと男女間の区別は厳しかった。興味があり、その境界線を越えたくて仕方がないのだが、それが厳然と拒否される。そこに強い不満がたまる。その解消のために、時としてその境界線を利用してほかの男女の仲をからかい、おとしめ、おもしろがる側に回ることで満足を得ようとする。男女は遊びでも、持ち物でも、いる使いでも、言葉遣いでも、それこそありとあらゆる所で、厳然と区別された。そしてそこからは見だしてしまう者は「不良」と呼ばれた。「不良」は、男にも女にもいたが、男の不良は人としての常識を逸脱したもので、女の不良は男勝りであることが多かった。もしかしたら、今のように、昔も男らしくあることに息苦しさを感じている者もいたかもしれないが、そうした男は不良としてさえも扱われずに、無視されていた。
そうした「男らしさ」「女らしさ」が厳然と求められているにも拘わらず、「幼なじみ」だけは例外だった。男でも女でもなく、「幼なじみ」だったのだ。明らかに「不良」としか見えなくても、「やんちゃで我が儘」な男か「女らしさの欠片もない」女と呼ばれた。言わば、男女の別なく親しくつきあっていられたのだった。
ぼくには、男友達に混じって、「チャコ」「さっちん」「かおる」という女の子の幼なじみがいた。大抵遊びは男女別なのだが、一緒になって土手の河川敷や公園で遊ぶこともあった。特に「かおる」羽、すぐにぶったり蹴ったり、挑発的な言葉を投げつけてきたりしては逃げ出した。捕まえて髪の毛を引っ張ると、「参った、参った。ご免、何でも言うことを聞くから離して」とすに降参することを繰り返していた。「何でもする」という割には菜にもしたことはなかった。ただ「参った」と岩瀬、言わされるのが目的のじゃれ合いだったようなものだ。「チャコ」は、何時もそんな「かおる」ぼくを見て、近くにいながら、特に何かをスルでもなく、いうでもなく、一緒になって笑っているだけだった。
そんなチャコに、珍しく夏祭りの日に、一緒に神社に行こうと誘われた。約束の日に、言われた時刻に神社の境内に行った。夕方だったが、暑さが残り、薄暗くなってもいなかった。てっきりみんなで行くものと思っていたのだが、待てど暮らせど誰も来ない。だんだんと薄暗くなってきた。「チャコの奴誘っておいて忘れたんじゃないのか」と腹立たしい気持ちも湧いてきた。同時に、チャコと二人きりだったらどうしようという気持ちも湧いてきたりして、ちょっと恥ずかしいような妙な気持ちになりかけた。だんだん人影も少なくなってくる。もう帰ろうか、帰りがけにチャコの家に寄って文句の一つも言おうかと思っていた時だった。すぐ近くに君子がいることに気づいた。
不良の君子には、宵のうちだったかもしれないが、それでも一応声を掛けてみた。「あんまり遅くならないうちに帰った方が良いぞ」君子は黙っている。意外だった。何時も素直なのに、今日の反応は少し違っているような気がした。余計なことを言って機嫌を損ねてしまったかと思った。気まずい雰囲気が流れた。しばらくして、「誰か待っているの?」と聞いてみた。するとしばらくためらった後「チャコちゃんに、相談があるから神社に来てくれて言われて。チャコちゃんとはあまり話しもしたことないのに、どうしたんだろうと思って」と小さな声でささやいた。
ぼくにも「君子は不良だ」というみんなのいうことがこびりついていたのだろう。だから今、夜遊びを咎められて不機嫌になる君子は、まさに不良だと感じたのだ。たとえ夜遊びが不良のすることでも、それは友達を待ってのことであった。君子の友達思い、とことんつきあうという誠実さが君子を不良扱いさせているといううのに・・・。いつもは素直な君子に、余計なことを言って機嫌を損ねたかと心配していたというのがまさに君子を不良扱いしていることではないか。やはり腫れ物に触るような気持ちがあったのは、君子が不良で人の言うことなど聞かないという先入観をもっていたということに他ならない。やっぱりぼくも「君子は不良だ」と決めつけているのだ。君子が好きだといい、理解者のつもりでいながら、少しも君子のことが分かっていなかったのではないだろうか、と思った。 「ちっとも君子のことが分かっていなかった・・・。」と反省した瞬間「チャコに呼び出された?」という言葉に改めて引っかかりを覚えた。チャコは、君子と親しくはなかったって?確かにチャコは、ほかの不良達と同じように、君子にもあまり近づかなかったはずだ。そのチャコが君子に用事があるって?しかも同じ日の同じ時間に、同じ神社の境内に君子とぼくを呼び出した?そう思った瞬間、「チャコの野郎」と怒りというか恥ずかしさというか、激しい、抑えきれない気持ちが噴出してきて、すぐにその場を飛び出してしまった。チャコの奴、「ぼくが君子のことを好きなのを知ってたんだ」と思ったのである。「余計なことしやがって」という気持ちと「知られていて恥ずかしい」という気持ちがまぜこぜになって、どうして良いか、どうしたら良いのか分からなくなってしまった。ただ、じっとしていることだけはできなかった。
飛び出したものの行く当てもない。とりあえずはチャコの家に向かって、抗議してやるつもりだった。弁明する必要も感じていた。しかし、チャコは家にいなかった。親しくしている「さっちん」の家にも行ってみたがそこにも誰もいなかった。「かおる」の家にもいなかった。じっとしていられない気持ちだけで、当てもなくあちこち走り回ったが、誰もその日は見つからなかった。チャコを探すのは諦めたものの、夏休みの最中で、明日学校で会うというわけにもいかなかった。夢中で走り回っている家に、君子のことはすっかり忘れてしまった。いやそうではない。君子のことは気になって仕方がなかった。本当はいい機会だと、一緒にいたかった。それでも、チャコがどこかで君子と一緒にいるところを見ているような気がして、君子の側には近寄れなかった。わざと神社から遠回りして帰ってしまったのだった。
5
9月に学校が再会したが、君子のことを言うのは控えていた。何日も経ってしまったし、話題にしたら返って泥沼から足が抜けなくなるように思われた。君子が好きだということは本当のことで、見抜かれてしまっているのだからどうにもならない。こちらの乾杯である。ただ、それでも「あのやろう」という思いはなくならなかったが、やり場に困っていた。仕方なく素知らぬ顔をしているしかなかった。チャコ達も一緒に今まで通りにしているが、君子のことについては黙っている。もちろん君子とどうなったのかを知りたがっているに決まっているのだが・・・。微かではあるが、男女の別なく、屈託なく過ごせるはずの幼なじみの間に、冷たい隙間風が吹き込んでくるのが意識された。
しばらくは意識的に君子に近づかないでいるつもりだった。そのせいなのか、学校が始まっても君子が来ていないことに、最初は気づかなかった。君子が来ていないことを心配していると思われないために、わざと無視していたのかもしれない。いったいどう思っていたのだろうか。君子の席が空席なのが異常に気になっていたような気もするし、不良の君子が学校をサボったからと言ってたいした問題ではないと自分をなだめていたようでもあり、チャコ達が君子の欠席に気づいて心配し、ぼくも一緒になって堂々と心配出来るように早くなりたいと思っていたようにも思う。変な意地は張るものではない、とその時気づけばよかったのだが・・・。
欠席が二週間も続くと、流石に誰もが気にし始める。チャコはぼくの方を見て「おまえは知らないのか」と問い詰めてくるかのような視線を送ってくる。
そんなある日、担任がいきなり教室で「君子が転校した」と知らせてきた。どこに行ったとも、なぜ転校したとも話さず、ただ、もう二度と誰とも会わないということだった。振り向かなくとも、チャコの視線を痛いほど感じた。「いったいおまえはどんなひどいことをしたんだ」というものであったかもしれないし、「おまえは知っていたんだな」というものかもしれなかった。そのうえで、「これでいいのか」と追い打ちを掛けてくるものだったかもしれない。何であれ、チャコの方を振り向けなかった。
その日の帰りに下駄箱の前で、久しぶりに先輩の腰巾着になっている同級生に、体育館裏に呼び出された。ついて行くと、いつも通りに20名ほどが囲む中でタイマンを張れという。いつも通り少しでも早く終わることを願っていたのだが、すぐに事情が変わった。「てめえ、夏祭りの夜に、女といちゃいちゃしてたんだってなあ」と先輩の一人が口走ったのだ。その瞬間「こいつら、君子のことを知っている」とピンときた。卒業生で、中学生相手に大見得を切っている輩だ。今ではりっぱな医学部が誕生し、その付属校として入試のレベルも上がってしまったが、当寺はどこにも入れない不良が集まる高校として有名だった所の生徒だ。そこで今日は思い切り暴れた。
元々家業は電気工事行だ。個人の住宅の工事もあるが、多くはビルや学校の校舎の方が多い。幼い頃から建築現場にかり出されて、大人の間でもまれ続けてきた。昔の建築現場は、戦場の様だった。あらかた枠組みができあがって、室内の工事になると、いざこざは倍増した。電気屋が室内に電線を這わす。天井裏になる所に電灯用の電線を伸ばしておく。壁の内側にはコンセントやスイッチの位置まで電線を張っておく。天井板や壁のボードを張ってしまうと位置がわからなくなってしまうので、印を付け、穴を開けておかないと、電線の位置を見つけることなど出来ない。ところがそれが面倒なものだから、あるいは日頃から面白く思っていない相手だからか、大工は平気でさっさと天井や壁のボードを張ってしまう。図面上はこの位置だと記されていても、建築途中の電線の位置を、張られてしまった壁板の中や天上板の上から探り当てることなど不可能だ。本来ならそこで大工と相談して対処の方法を探るのが好いのだが、たいていの場合はいちいち相談する事はなく、天井板や壁のボードをはがしてしまう。普段から仲が良くなく、小さないざこざが絶えない者同士だと、普段の憤懣が爆発する機会になってしまう。はがされた大工は怒り心頭である。当然そこでは暴力沙汰になる。今になってみると、警察沙汰にならなかったのが不思議であるが、互いに大けがをするものが続出である。そこでの暴力沙汰は、中学生や高校生の、粋がった上での喧嘩などとは比べものにならない激しさを持っていた。今では一流企業の看板を掲げている「○○工務店」も「○×工業」もかつては「○○組」を名乗っており、それこそ「やくざ」に他ならなかった。争いが講じてしまうとまさに「出入り」になってしまう。ヤッパや日本刀、時にはピストルまで登場し、それに対抗して電気屋の最高の武器は、ドライピットであった。ドライピットというのは、コンクリートの壁などができあがってしまった後から通線などのために穴を開ける道具で、言うなれば小型のバズーカ砲の様なものである。1mくらいのものなら重量鉄骨にも穴を開ける事が出来る程だ。大けがをして入院する人が出ることは珍しくはなかったが、今から思うと死人が出たのが不思議だった。
最終的には袋だたきに遭ったことに変わりはなかったが、いつも無傷の不良グループも甚大な被害を受けていた。両手両足を押さえつけられてしまえば、まともにやっては手も足も出ないが、抑えるより振り払う方が圧倒的に有利だ。暴れてひるんだ隙をついて、正面にいた先輩の急所を思い切りけりを入れた。泡を吹いてひっくり返った先輩がうなりながら「しっかり抑えておけよ、この野郎」と味方の後輩に文句を言っている。「何だよ、タイマンっつうのは、相手を押さえつけてやるもんなのか」と言い返されてうなっているのに、能なしの後輩たちが右往左往していた。それでも多勢に無勢ではあった。押さえつけられてはふりほどき、緩んだ片手や片足、頭を使って、めぼいしい奴の急所を狙い撃ちした。眉間、鼻っ柱、顎、鳩尾、急所、体の中心線にあって避けにくいところをことごとく狙い撃ちにした。一切の遠慮はなしだ。何時も無傷で済んでいたのは、多勢に無勢だったせいにすぎないのに、常に無傷で勝利できたのは自分たちが圧倒的に強いためだと勘違いしていたのだろうが、今回はそうはいかなかった。被害はお互いに甚大だった。
翌日から、呼び出しは全く来なくなった。代わりに「口撃」が激しくなった。「喧嘩で急所ばかり狙う卑怯者がいる。」「汚え手ばかり使いやがって、男の風上にも置けねえ」「先輩達もそう言っていた」と言った類いである。当然聞かされる方は実態をほぼ知っているのだから、卑怯なのはどちらかははっきりしているし、何人もが束になってかかっても叶わなかった負け惜しみであることや、恐ろしいと思っていた先輩が実はたいしたことのない男でしかなかったことが白日の下にさらされてしまったのだった。実際その先輩たちも二度と中学校に姿を見せなかった。
6
不良グループは相変わらずのさばった振りをしていた。しかしその実肩身の狭い思いをしており、先輩の威光も霞んでしまった。お蔭で学校生活はずいぶんと平和になっていった。特に部活動では、体育館も校庭も、校舎の隅の教室も、場所を不当に占拠されることもなくなり活発になっていった。
夏休みを迎えると、河川敷の橋の下や川っぷちの草むらの中など、それまで不良のたまり場で危険とされ近づきがたかった場所も、心置きなく使えるようになっていった。ぼくも、川に沿って走り、河口までの往復10kmが日課となった。
ある日、早すぎる夕立に見舞われた。復路で5kmほどを残しているところで、かなり激しい雨に見舞われた。途中で家に帰ることもできたが、寒い季節でもなく、シャワーを浴びるような気持ちで、ゴールの橋の下まで駆け抜けた。橋の下で雨宿りをしながら休んでいると、呂律の回らない酔っ払いのような声が響いてきた。雨脚は激しかったのだが、鉄製の大きな橋の下では、非常に声が反響し、会話はかなりはっきりと聞こえてきた。呂律が回らないほど酔っていて、声の加減もできなかったのだろう。
しばらく聞いていると、何とぼくのことを話しているようなのだ。「あの野郎、いつか思い知らせてやる。」「今度はあんなもんじゃ済まさねえぞ」「高校の悪達も大量につれてきてやる。」と言ったような負け惜しみを繰り返しているようだ。もう殆ど学校に姿を見せなくなった、あの時の卒業生だ。太鼓持ちがよろしく相槌を打って調子を合わせているのは、同級生の一人だ。自分が悪の代表で番を張っていると、先輩のお墨付きをかざしていい気になっていた奴だ。「何時か、なんていう本当に来るかどうか分からない未来じゃなく、今ここでけりを付けてやる」と飛び出そうかとも思ったのだが、言いたいだけ言わせておけ、どうせ蔭での遠吠えしかできない情けない奴らのことだ。「いつでも相手になってやるぞ」、今だったら二人だけだ、逃げるのにどんな言い訳をするんだろう、ちょっと声を掛けてやろうかなどと思っていたのだが、話は思わぬ方向に進んでいった。
「あの野郎よ。君子のことが好きだったんじゃねえか。」
「それはないと思いますよ。あいつは生徒会長だし、君子は札付きの不良だし。」
「でもよ、神社では二人きりになってたんだぞ。それもあんな時間まで。」
「でもあの野郎、君子をおいて先に帰っちゃったんですよ。」
「そうだけど、何だか怪しくなかったか。」
あいつら、何で君子と一緒に神社にいたことを知ってるんだ。しかもぼくがチャコの家に行った後も君子が一人でいたことを知っているってことは、君子に会っているのか?
「まあ、好きだろうが何だろうが、あいつがいなくなったおかげで、俺たちゃ楽しめたって訳だ」
楽しめた?
「いっぱしの不良の真似してやがっても、おぼこ女で、さんざん嫌がって抵抗しやがってなあ」
「いくら抵抗したって、やっちまえばこっちのもんすよ」
「途中からすっかり諦めて大人しくなりやがったな」
「不良のくせに、涙流して、本気で泣いてやがったな」
そこまで聞いたか聞かないか、はっきり覚えていないが、二人の前に飛び出していた。
「てっめら」と言うが早いか、本気で一方的に殴る蹴るを重ねた。相手はアンパンでよれよれである。やりたい放題である。途中で「何だ、君子がやられて悔しいか」などと言われたれたものだから、さらに火がついた。歯も折れ、鼻からも目からも耳からも血があふれ出ている。それでも怒りは収まらず、雨の中二人を引きずって、橋の中央まで行き、下の川に投げ捨てた。川面までは10m以上はあるだろうか。大きな音で川に没したはずだが、音は覚えていない。
3日ほどして、二つの死体が上がった。今と違って、川岸に土左衛門が流れ着くことは珍しくなかった。河川敷で草野球やサッカーをやっていると、結構頻繁に死体が上がった。こちらは見慣れているが、若い警察官など、通報を受けて駆けつけて、死体を見るなり吐いてしまうこともあった。職務熱心なのか、川に入り込んで死体を抱えようとした警察官は、止せというのを聞かず抱え上げ、両腕に腐乱した死体が食い込んで、抜けなくなってしまうこともあった。数日経っても臭いが抜けず、食事もままならないで、その警官はすぐに辞職したという噂だった。
当然殺したのはぼくである。自首しようなどとは思わなかったが、これからどうなるのだろうということは気がかりだった。気がかりというのはあまりにも他人事のようだが、実際ピンときてはいなかった。死刑になるのか、少なくとも逮捕はされるだろうと思った。刑務の中での生活はどんなものか、どんな奴らがいるのか、刑罰が殺人だと言えばどんな反応を示すのだろうか、といったことが浮かんでは消えていった。
そんな風に無責任ででいられたのは、死体が簀巻きにされていたからであった。むしろでぐるぐる巻きにして、荒縄で何カ所も縛ってあったのだ。誰がやったことなのか、少なくともぼくが簀巻きにした覚えはない。誰かがぼくに罪をなすりつけようとしているのかもしれなかった。それなら黙っていれば良いのかとも思えてくる。あし、ぼくが正直に告白するかどうか、ぼくのやったことの一部始終を見ていた誰かに確かめられているのかもしれないとも思った。
その後、いつまで経っても事件は解決しなかった。ぼくは、事情聴取を受けることもなく月日は流れた。事件直後は、被害者に対して、殺されて当然だといったような陰口も頻繁になされていたが、それさえ殆ど聞かれることがなくなった。そしていつの間にか忘れられてしまったようだ。二人はいつ死んだのか。殴る蹴るの結果死んだのか、川に投げ入れられて死んだのか、それともまだ生きていた二人を、改めて簀巻きにして殺したものなのか、わからないままである。
7
結局、あの夏祭りの夜、君子は一人残された神社で、不良達に襲われ、強姦されて、妊娠してしまったらしかった。妊娠がわかって君子は唯一の肉親である祖母と一緒に、誰にも打ち明けることなく引っ越していったというのである。では、君子が妊娠したらしいと云う話はどこから出た話なのだろうか。誰にも相談しなかったのなら、誰も知らないはずではないか。先ず、根も葉もない真っ赤な嘘であって欲しいと思った。でも実際に君子はいなくなった。いなくなる原因など思い当たらない。そこで次には、そうであって欲しいと思った。と言うのも、引っ越したのではなく、君子は自殺してしまったという話もあり、どちらだか誰も知らないのである。
妊娠などしても、君子は君子である。君子には何の罪もない。しかし、君子が産んだ子に対してはどうだろうか。もちろん子供に罪などあろう筈がない。しかし父親は、あの橋の下にいて殺された糞野郎か、その仲間の誰かである。その子を愛することができるのだろうか。君子に、死なないでいて欲しいと願っている気持ちに嘘はない。しかし今君子が目の前に子供を連れて現れたとしたら、どうするのだろうか。
あるいは、中絶して子供を降ろしてしまっていた、何の問題もないのか?いや君子は、子供の命を奪うなどということをするはずはないだろう。今も君子とその子はどこかで生きているのだろうか。もし生きていたら、君子の子供は、やはり相当な不良なのだろうか、などと考えてしまう自分をどうしたらいいのだろうか。今更言っても仕方がないが、なぜあの糞野郎共を、もっと早く殺してしまう奴が出なかったのだろうか。
唐突だが、社会科の授業で習った日本国憲法の説明が、不意に思い浮かんだ。人類処か生き物はすべて、最初から争うように出来ている。強い雄を求め、召す同士が争い、美しいメ巣を求めて雄同士が戦う。生き物にとって争いは生まれながらにして持つ本能だという。ところが日本国憲法は、戦争を放棄し、軍隊は一切持たず、どんなことになっても武力で攻撃も反撃もしないと誓ったという。これは実は生物市場革命的な出来事なのだというのである。地球上に単細胞生物か何かの生命体が発生して以来この方、他の生命を脅かさないと宣言したのは初めてだという。それほどまでに画期的な出来事なのだ。それを聞いたときには、大いに感動した。頭の中で、長い長い、果てしない巻物が、無限にほどけていくような様が展開された。それまでは、やられたらやり返すのが常識だと思っていた。被害を受けた側が反撃して、敵を討てば、討たれた側にも関係者が必ずいるから、今度は反対に恨みを買うことになる。今度は被害者と加害者が逆になってしまうのだ。つまり、報復は無限に続いてしまうのである。それは頭ではわかっていた。しかし、実際には、自分から報復の連鎖を立ちきるなどと云うことは、出来るわけないと思われた。出来るはずないことを、国の誓いとして掲げてしまうというのはどういうことなのかと思われた。やはり戦後の一時期、正気の沙汰とはいえない夢物語を平気で吹聴してしまう時期があり、そこででっち上げられた失策なのかと思われた。それを「これはたとえ親兄弟や愛する人が殺されたとしても、絶対に復讐しない」という、それこそ血の滲むような決意であり、誓いなのだと説明されたとき、背筋が震える思いがした。
今、復讐が果たされた。自分の手によるものではなかったので、復讐を成し遂げたというのとは違うだろう。それでも、結果的には辛うじてであれ、復讐が達成されたことになる。その結果今感じていることは、残念ながら、虚しさだけである。もちろん犯人達が今なお目の前にのうのうと生きていたら、直ちに殺してやりたくなるに違いない。ただ、それでもその先には虚しさしか残らないのではないかという気がするのはどうしたことだろう。それは、かけがえのない愛する人を殺されたとしても復讐しないという、日本国憲法の精神を身につけ損なっているからではない。犯罪が行われる前に、犯罪の元を絶ちきれなかったことがすべての失敗の元なのである。先んじて駆除できなかったら意味がないのである。
はっきりしているのはこういうことだ。第一に、どれほど強い恨みを持つような犯罪を蒙ったとしても、後になってから復讐したのでは、少しも気が晴れることも、恨みが晴れることもないということである。しかもそれ以上に、恨みと復讐の連鎖を生むしかないというのが第二である。そうかと言って、第三にはっきりしているのは、危険性を予知し、破防法や優生保護法のような余談による断罪も、神ならぬ身には断じてゆるすべき打破ないということである。ではどうすれば良いのか、何が出来るのか。それに対して十分に納得のいく答えを早急に見いださない限り、復讐の連鎖にしろ、予断がまかり通る暗黒の世界に逆戻りするほかないというのが、第四にはっきりしていることである。はたして復讐などしなくても住む世の中は、はたして実現するのだろうか。
復讐せずとも済む道は
