感謝の気持ちを伝える難しさ

いつの世も礼儀や仁義というのは難しい点がある。丁寧すぎる御礼は、返って相手を恐縮させてしまうこともある。御礼の槍吊りが繰り返されてしまい、双方にとって負担になってしまうこともあるかもしれない。かといって、挨拶なしというのも気が引ける。きちんと答えが伝わらなかったのではないかと不安になるかもしれない。応えた内容が不十分だったかと心配になるかもしれない。あるいはせっかく応えたというのに非常識な奴だと思われるのではないかと心配になる。
丁度良いのがどの程度なのかは、昔から加減は難しいところがあった。それでも、多少丁寧すぎるかなと思うところが丁度いい加減とすることで乗り越えることが多かった。
 ところが最近はなお一層難しさが複雑になった。機微の問題を越えて、いわゆるストーカー的な要素である。

 数年前から、大学の同窓会というか同期会を始めた。コロナも収束し、ほとんどが定年を迎え、若い頃が懐かしくなったというところかもしれない。といっても、我々の学年は、總多くの人数が集まるほどの、濃密な人間関係があったわけではなかった。現住所はわからない人が多いながら、北は北海道から南は沖縄まで、まさに日本全国に広がっていた。声を掛けたところで、せいぜいよく顔をつきあわせていた5,6人が集まるのがせいぜいだろうと踏んでいた。ところが、あに図らんや、最初の集まりには15人以上が集まると返事をくれたのである。どうやら前日から泊まりがけで東京に出てくる人もいるようである。もちろんそれぞれに予定もあるのだろうが、もし暇をもてあますようであれば、大学周辺を案内してみようかと思い立った。何も大学周辺でなく、浅草だの青山だのといった場所でも構わなかったのだが、そういうところは、案内人としてもっとふさわしい人がいるに違いない。
 それで、以外に価値や由緒のある散策コースを組んでみた。初書ある場所には記念碑などがつきものである。しかもその多くは石碑が中心となっている。木ではなく石に刻まれているのは、長い期間、出来れば永遠に残したいという思いが込められているように思われた。しかし、石と雖も長い年月の間には朽ちたり欠けたりして、判読不明になってしまっている。しかもいくつかの場所で伺った限りでは、石に刻まれた内容なり氏名なりといったものが別に残されているわけではないことが多いようである。そこで、今のうちにできる範囲で記録にとどめておこうと思い立った。写し取るのは、思ったより難しいことが多かった。非常に高いところに刻まれているもの、裏側には回り込めないもの、立ち入り禁止で近づけないものとさまざまであり、何より書かれた文字が旧字体で読めなかったり、漢文で読み解けなかったりと、それこそ困難を極めた。一度の訪問で、そうたくさんの記録は出来ず、何度も繰り返し訪問することになった。行く度に、事前にネットや書籍などを中心に情報を集め知識を増やすことも出来た。
 それでもどうしてもわからないところが出てくる。近隣の中で、群を抜いて由緒があり、規模も大きいにもかかわらず、創建の地がわかっていない神社があった。現在地に移転してからのことはかなり詳しいことまで明らかに出来るのだが、創建場所は皆目見当が付かないのである。
 困り果てた挙げ句に、ヤフー知恵袋に相談してみた。日をおかず回答が寄せられた。一件だけではあったがさすがに詳しい知識をお持ちの方からのものだった。ただ、残念なことに創建の地に関しては違っている可能性が高かった。既に調査を重ねて、多分ここではないと結論づけたところだった。国会図書館にも問い合わせてみたが資料の紹介はしてくれなかった。そこでダメ元で近隣にある図書館のうちの中心的存在に問い合わせてみた。地元にあるため特別な資料を保存している可能性に一縷の望みを掛けてはいたが、国会図書館でも断られた挙げ句なので、總大きな期待は抱かなかった。ところが翌日には資料を何冊も準備して下さり、その中の数冊については、関係ありそうな部分のページと、その内容について簡単にまとめたものまで用意して下さった。期待は良い方に外れた。早速その資料を基に周辺を何度も回った。結果的にははっきりしたことが完全にわかったわけではなかったが、かなり正解に近づけたように思われた。
 後日冊子にまとめて、御礼の意味も込めて、図書館に電話した。いきさつを話し、資料を作りを手伝って下さった方に御礼を言いたいと申し出ると、意向は伝えるから、この電話だけで結構だという対応であった。せっかくなのでもう一度お会いして、御礼の意味でできあがった冊子をお渡ししたいと思ったのだが、どちらかというと再会を断り、まるでストーカー被害を警戒しているかと思われるような対応だった。こちらの思いを伝えたい気持ちは、本当は強かったのだが、警戒している様子が窺えたので、直接お会いしての御礼は諦めることにした。感謝の気持ちの深さが伝わるかどうかより、今後萎縮してしまったり、最低限の対応に直すように指示されてしまうようなことになっては、元も子もないと思ったからである。
 通常の通り一遍を越えた対応をしていただいた。その結果、ストーカー被害を警戒するようになってしまったのでは、懇切丁寧な対応はしないように指示されないとも限らないと思ったのだ。当然上司も同僚も、事なきを得ることを優先するに違いない。だとすると、せっかくの親切心を砕いてしまう結果になるかもしれないと思ったのだ。深い感謝を伝える方法はないのだろうか。そんなものは伝える必要がない時代になったのだろうか。
そこで、今回はすべてを匿名で、曖昧に記すことにとどめた。本当なら、「○○図書館に勤めている▲▲さんは、~についてこんな風に調査して紹介してくれた。本当に助かったし、ありがたかった」と紹介したいところだが、親身な対応を一つ死滅させ、形ばかりのお役所仕事を増やす役割を果たすよりはましかと、我慢することにした次第。実に不本意で、残念至極。