【目次】1.葬式まで
2.葬式をする意味
3.「天国」と「地獄」について
4.人は二度殺される
1.葬式まで
人は誕生して、ほかのほとんどの動物より長い時間をかけて成長し、大人になる。他の動物に比べて、成長に時間がかかるのである。その分成長の幅が広い(可塑性が大きい)と言われる。体力や運動能力は、他の動物に比べてはるかに劣っているが、知的な発達は抜群に大きく、他の動物を圧倒している。個々の力が弱く、成長に時間がかかる分、親兄弟や仲間・先輩による協力や保護が重要な役割を持つ。他の動物には見られない、高度な協力体制や社会を形成しているのである。過去の経験を生かし、将来のあるべき姿を予想したり、抗争したりして、現在の問題を解決しようとすることも、ほかの動物にはない特徴的だ。ただし、ミツバチが細い管に巨大な巣を吊り下げるが、未だに人間の科学力をもってしても同じような物は作れないと言われている。トンボのように空中で羽ばたきながらのハウリングも、人間の現在の技術力をもってしてもできないと言われている。しかし、やがてそれらについても、人間は可能にするか能力を持っているように見える。
極めてか弱く生まれた人間だが、めざましい成長を遂げ、体力と共に、脳を発達させた。様々な社会制度や科学技術を生み出し、利用するが、個人はやがて衰え初め、ついには衰弱して「死」を迎えることとなる。
今回は人間の「死」にまつわる事柄をまとめてみる。通常、人が死を迎えるに当たって、まず行われることは、「お通夜」だ。お通夜というのは、家族や友人など、故人と親しかった人が集まり、故人と最後の夜を過ごす儀式のことである。元々は夜通し故人に付き添い、灯明と線香を一晩中絶やさないようにしたことから「通夜」あるいは「夜伽」と呼ばれた。なお、日本の古い習わしに、家族が亡くなった後も、一定期間亡くなった家族の食事を出し、生前と同じように過ごすという風習があり、それが変化したものという説もある。
特に、医療技術が未発達の時代には、人の死を確定することが難しく、身の毛もよだつような話だが、土葬した棺桶を掘り返すと、棺桶の蓋の内側に無数のひっかき傷が残されているということもあったと言われている。棺桶の中で蘇り、外に出ようとして果たせなかったといいうことのようだ。その苦しさや絶望感は想像を絶するものがある。現代では、まずそのようなことは起らなが、その人の死が確実であることを念を入れて確かめる風習として、「お通夜」が残っているのである。なお、通夜には「仮通夜」と「本通夜」とがあった。「仮通夜」は、亡くなった当日に親族だけで行うもので、その翌日以降に一般の弔問客を迎えて行うのが「本通夜」だった。「仮通夜」が、確実な死の判定であったとすると、現在の医療技術の前では不要になってきたということだろう。今では「通夜」と言えば「本通夜」のことを指しているようだ。さらに、現在のような夕方から夜にかけて、二,三時間で終了し、夜通し行わない通夜を「半通夜」と呼んだ。
「通夜」は、本来は故人が亡くなったことを確かめる機会であり、できることなら蘇ってほしいと、一晩を明かすことだったので、通夜に「喪服」を着ていくべきではなかったのだ。まだ「死」が確定していないうちに死者を弔うのは、本当はとんでもない話だ。あまりにも手回しよく喪服を準備しているのは、まるで死ぬことを待ち構えていたように思われるとも云われて嫌われた。しかし、立派な祭場で、半通夜として催される現代の「通夜」は、どう見ても死者を送る行事に他ならなくなっている。今更、喪服は遠慮すべきというのは当たらないのかもしれない。日本人的な事なかれ主義がそれに拍車をかけている。どうせ正式な場に出るのであれば、これまた正式な喪服を着ておけば、文句を言われることもなかろうといった判断である。
「死」が確定したところで、「葬式」が行われる。葬式は故人を見送る儀式のことで、看取りから始まり、納棺、お通夜、葬儀、告別式、火葬、納骨、四十九日と続く。一連の流れをまとめて「葬送儀礼」と言い、葬儀は葬送儀礼の中の一つである。「葬儀」では、近親者のみが集まり、読経してもらう儀式として行われている。亡くなった方を彼岸に送り出すための宗教的行事なのである。ただし一般には、お通夜以外の儀式をまとめて「お葬式」という呼び方がされている。それに対して「告別式」とは、別れを惜しむ参列者のための儀式である。生前故人と関わりの深かった多くの方々がお別れに訪れる。日本で最初の告別式を行ったのは、明治時代の思想家中江兆民だと言われている。そう古い時代からあったわけではないのである。それ以前は自宅で通夜を行い、葬式の後出棺すると寺院や墓地に葬列を組んで向かい、僧侶の読経により引導を渡されて埋葬するというのが一般的だった。ところが明治30年代には葬儀の簡素化や合理化が求められ、中江本人も宗教色を排除した葬儀を強く希望していたこともあって、遺族や友人が宗教色のない儀礼を考案したのが告別式の始まりだったのである。宗教色を排して行うために生み出された告別式が、まるで仏教行事のように宗教に取り込まれてしまっているのが現状でなのある。どうも我々は、宗教や神社仏閣に纏わることは、前例通りにしないと罰が当たるかのような思いになりがちである。個々にも日本人らしい事なかれ主義が垣間見えている。しかし事実を知ると、宗教に惑わされない本来の意義と姿が見えてきそうである。「襲われる」「罰が当たる」「呪われる」などといった類いのことに対する恐怖心は、平安時代の貴族の「怨霊」に対する恐れの大きさを笑えないのが実態であろう。
2.葬式をする意味
葬式は、故人の魂を死後の世界に送り出すための儀式だ。遺族や親族、故人と生前に関わりの深かった方々が集まり、故人が死後の世界でも穏やかに暮らせるように成仏を願うのである。そのために必要なものとされている。
それと平衡して実用的な意味も持ち合わせている。故人の広く死を知らせる意味である。直接訃報を受け取らなかった人々にも知らせられるということである。さらに、親族の縁を繋ぎ、交流を深める意味も持ち合わせている。思い出話と近況報告をし合い、人の死について考え、命の大切さを改めて知る機会にすることができる。 仏教の世俗化は堕落であると同時に民衆か
このように意味づけられ、ほとんどの場合葬式は仏教で行うのが常識であるかのようになっている。しかし、釈迦は死後の葬儀は在家信者に任せて、出家した専門の僧侶は、修業に専念して、葬儀に関わるなと言い残している。日本に伝来した後も、実は僧侶が葬式を行うことはなかったのだ。最初に日本に伝わった仏教の形を色濃く残していると思われる奈良仏教(南都六宗)は、葬儀をやらないし、墓地も持っていない。葬式を寺が担うようになったのは、江戸時代に、幕府がキリシタン弾圧のために寺請制度を作った結果である。個人がキリシタンではないことを寺院に証明させるために、全国民をどこかの寺の檀家としたのである。住居の移転、方向、結婚、旅行などに際して、檀那寺が発行する寺請け証文を必要とし、幕府の庶民支配機構の末端を担わせたのである。
この結果葬式を行うのは高貴なごく一部の人に限られていたものが、庶民の葬式も寺が関与することになったのである。
むしろ、寺も当初は葬式など、どのようにして行えばいいのか分からず、大混乱だったようだが、そこで朝廷で行われていた、泉涌寺の仏式葬儀を真似して形をそれらしくしたということだ。何らも神聖なものではなく、取って付けたような者といっても良さそうである。
仏教式の葬儀での僧侶の役割は、読経することである。仏教式の葬式で成仏させるには、死者が仏教徒でなければならない。ところが在家信者であっても、生きている間は俗人である。ましてや現在の日本人はほとんどの人が檀家ではない。そこで、死んでから、慌てて出家させることになる。「引導」を渡し、「戒名」を授けるのである。「引導」とは「誘引開導」のことで、人々を仏の道に導くことで、「戒名」は、出家し、受戒した時に授かる名前である。本当は生前に出家していなくては仏教式の葬儀をするわけにはいかないのだが、死後に仏の教えを読み聞かせ、俄作りの仏教徒にするというわけである。
そのうえで納骨する。私たちは死者を追憶するために墓を建てると思っているから、立派な墓を建てることはそれだけ死者への追慕の深さを表すと思い込んでいる。しかし、それも怪しいようだ。
元々古代においては、死体と死者の霊魂とは区別されていた。死体は穢れたもので、やがて腐敗していくので、打ち捨てられる。鳥葬や風葬が行われ、墓地とは死体捨て場のことでしかなかった。霊は死体を離れ、永遠に残るものとして尊び祭られた。霊を祭ることによって、悪霊から和霊に変えたのである。一方死体は、埋葬する際に、生きている者に対して害を及ぼすために蘇るかもしれないので、土葬の際には骨を折り曲げ(屈葬)たり、死体に重い石を抱かせたり、死体を埋めた土の上に重しを乗せたのである。それが「墓石」の始まりだと言われている。今は墓石が墓参りをする際の目印となっているが、墓穴から悪霊が出て来ないための重しであり、古代人は墓地には怖がって近づかなかったので、もともとは目印など必要なかったのである。
浄土真宗は、つい最近までお盆の行事は一切しなかったそうである。今なお戒名を付けない。これは死者は誰でも「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば即座に成仏できるという教えが根底に流れていた結果である。死者の魂は仏壇にも墓にも宿ることはなく、極楽浄土に招かれている。だから卒塔婆も位牌も作らず、仏壇に魂込、魂抜きなどといった儀式や読経も不要だったのである。過去帳が作られればそれだけでよかったはずであった。しかし、近年では、戒名の代わりに「法名」を付けて、魂抜きの代わりに読経を施すようになってきている。お盆に似た行事も執り行うようになってきたという。これらはどう考えても親鸞上人の教えに背いて、葬式仏教としてお布施集めに走っているとしか見えない。
六道輪廻などとは無縁に、死者が誰でも即座に浄土に行ってなに苦労することなく、安穏と暮らせるのであれば、遺族が懇ろに弔う必要もなく、個人を忘れないことが大切なわけでもないということになる。皆が即座に忘れてしまうというと、薄情で、寂しい思いにとらわれなくもない。しかし、早く忘れてしまうことこそが、この世に未練を残さず成仏できる道だとも言えそうで。親鸞上人の「善人往生す。況んや悪人をや」というのも、悪人なら誰も寄り添ってくれることもないだろうし、もし恨まれているとしたら、その恨みから早く解放されてこそ成仏できる道だということになり、納得できそうな気がするのではないだろうか。
3.「天国」と「地獄」について
それでは天国とか地獄とかいわれているものはないのだろうか。極楽浄土があるとすれば、「天国」に当たるものはありそうだ。こちらはあってもらった方がありがたいから問題はない。問題なのは地獄だ。キリスト教でもイスラム教でも、他宗派の人間は皆地獄に落ちることになっている。仏教は一般的には、地獄巡りを繰り返さないといけないことになっているようだ。これも永遠と言ってもいい期間地獄巡りをしなければいけないことになっている。常人には、解脱などできそうもないかのようだ。
「天国」は「地獄」と対になって、死後の行く先として提示される。しかし、どちらか一方敷かないのであれば、それは選択も比較も必要ないということになる。浄土真宗の親鸞上人の教えを信じれば、死後は全員極楽浄土、つまり天国しかないことになる。ありがたいことである。ぼくは常々、死後には「天国」と「地獄」という、正反対の場所、是非とも行きたい場所と、是非避けたい場所とがあるかどうかを考えたとき、実は両方ともないのでは無いだろうかと考えていた。
それは死後人を向かい入れる場所として存在しているのではなく、死の直前に味わう、その人の一生の自己評価の瞬間に味わうことなのではないかという気がした。通常時の反省や評価なら、次がある。しかし死ぬ瞬間であれば、次はない。失敗ももうやり直すことはできないし、後悔も正すチャンスはない。しかも自己評価である。他人は騙せても自分は騙せない。本当は孝だと、一番厳しい評価をせざるを得ない。でもそれがどうして「天国」と「地獄」になるのであろうか。
うことがあるでしょうか。ぼくはあり得ると思っています。
人は死ぬ瞬間に、走馬燈のように一瞬のうちに自分の生涯を振り返るという。死んだ経験はないから想像であり、噂に過ぎない。しかし死にぞこなった経験がある人は少なくない。臨死体験をしたと言えばもっと真実みが籠もるであろうか。「死にそうな思いをした」人はもっと多いことだろう。そこではほぼ共通して、一瞬のうちに、考えられないほどの思いを一句に感じ取るということが起こるようだ。不断から、確かに時間の経過は主観的なもので、同じ1時間でもものすごく長く感じることもあれば、たちまちのうちに終わってしまったように短く感じることもある。切羽詰まった時にはほんの数秒で、ものすごくたくさんのことを考えていることもあるから、人生最後の数分で一生を振り返ることもできそうな気がしくる。
その時に振り返った自分の人生が、不誠実で誤魔化しばかりであったような時には、次々と後悔することになる。言わばとてつもなく凝縮された後悔の悪夢がその場に出現することになる。後悔しても死ぬ直前であれば、今後訂正することもやり直す機会も与えられない。究極の後悔となる。そうなった時には「地獄の苦しみ」味わうことになるといってもいいだろう。後悔しても仕切れないほどの後悔を味わい、苦しみ抜いて死を迎えることを「地獄」と呼んだのではないだろうか。他人には嘘をついてごまかすことができるし、運良くばれずにすみ続けることもできたかもしれない。しかし、自分は知っている。ごまかすこともなどできないのである。
それに対して、凝縮して思い返すことが、例え金持ちになることも、偉くなることもなかったとしても、誠実に生きた人生であったら、地獄の苦しみを味わうような後悔はしなくて済みます。もっと金持ちになりたかった、偉くなりたかった、成功したかったという思いは残るかもしれないが、それでもとりあえずは満足な人生だった、取り返しの付かないような激しい後悔は感じないと言える最後を迎えるのではないだろうか。そうした安穏な最期が迎えられることを「天国」と呼んだのではないだろうか。つまり、「天国と地獄」は、人生の最後の瞬間に、絶対にごまかすことのできないものとして誰もが味合わなければならない瞬間のことなのである。「天国」という場所も「地獄」という場所もありはしないが、人生の最後の瞬間という、誰にも必ずやって来る「時間」のことなのではないだろうか。言い換えると、天国に行けるか地獄に行かなければならないかは、それまでの自分の生き方に左右されるということになる。
4.人は二度殺される
ところで、「人は二度殺される」ということを聞いたことはないだろうか。一度目の死は、本人が実際に息絶える時だ。そして二度目の死というのは、その人を知っていた人々が一人もいなくなり、その人がかつて存在したことが完全に忘れられる時だ。
誰であれ、自分が完全に忘れ去られるというのは、たとえ死んだ後のこととは言え、寂しいことのように感じる。そこで何とか完全には忘れ去られないようにしたいと願うものではないだろうか。そのために自分が存在した証拠を、様々な形の業績として残そうと努力することになる。その業績が未来永劫残れば、普段は忘れられていても、「実はこれを作り上げた人物は○○だ」と思い起こされ、再び脚光を浴びることになるかもしれない。そうなりたいと願う人も少なくなく、それぞれに得意の分野などでがんばるのである。
人は自分自身で忘れ去られないようにすると共に、周囲の人々(家族・親類、友人知人など)によって忘れられてしまわれないようにする。しかしそれには限界がある。その人の死後に生まれた人には直接会ったこともなく、話しに聞くだけだ。もっと年月が経って生まれた人には、微かな噂話だけで、写真では見たことがあるという程度で、正直ピンとは来ないはずだ。とっくの昔に亡くなった人だというのに若い時分の写真など見せられても、ピンとくるはずがない。そうして徐々に忘れ去られていくことにならざるを得ない。淋しい限りだが、どうにも避けられない運命に他ならない。
しかし、本当のところは「忘れられてこそ成仏できる」ということなのではないかという気もしてくる。親兄弟、友人知人など、かつて生きていて親しく交流していた、よく知っている人であっても、その人がこの世を生きるのは「仮の姿」であり、お釈迦様の意思で与えられた役割を生きているとも考えられるののではないだろうか。
お釈迦様ほどの力を持つならば、すべての人が幸せに生きるようにすることなど容易いことだという。それでもそうなっていないのは、お釈迦様がこの世をそのような楽園にはしなかったということに他ならない。つまり、不平等、悪運、悪意に満ちたこの世という舞台に、すべての人間が、お釈迦様に与えられた役を演じる役者となるのがこの世の生なのだ。「この世」はあくまでも仮の世で、お釈迦様に与えられた役割を演じきって、役割を終えて、あの世という本当の世に生まれ変わるのである。どんな役割であれ、この世での仕事をこなし終えた者が、安穏に幸せに暮らせるのである。それこそが浄土思想である。親鸞上人が「善人往生す。況んや悪人をや。」
(善人が極楽浄土に行けるというのだから、悪人はもちろん極楽に行けるに決まっている、といったよ
うな意味)と仰った意味が分かるのではないだろうか。仮の世であるこの世で悪人を演じきった者には、「ご苦労さん、大変だったね」と慰労の言葉をかけて、丁重に弔うのであろう。いわば、この世で演じ た役割を解いて解放してあげることこそ、成仏するということなのだ。悪人の役まわりを与えられたらもちろんだが、たとえ善人で皆から尊敬され、慕われるような役割を与えられた人であっても、その役を全うしたことが極楽浄土に行くことができる条件であったとしたら、厄(役)落としではないが、それまでの役をすっかり脱ぎ捨てることこそが必要とされることなのではないだろうか。
「悪人」の役を託されたとしたら、仮の世とは言え、この世でさんざん悪事を働くことになったかもしれない。仏様から委託された役まわりで、やむを得なかった(これを「他力本願」と呼ぶ)とは言え、さんざん悪事を働けば、死ぬ瞬間には「地獄」を味合わざるを得ないかもしれない。あるいは、仏様の意思による悪行であっても、多少は自ら好んで悪事を働いてしまうことが全くなかったとは言えないかもしれない。他人を苦しめる役まわりが、自分の好みや悪事にマヒした結果、調子に乗りすぎることが絶対にないとは言えない。自分のエゴも加わってしまったという場合だ。その時には死ぬ瞬間の地獄の苦しみは、避けられないに違いない。しかし、そうした人間でさえも、死ぬ瞬間に地獄を味わうことによって免罪されることになるのかもしれない。だとすると、善も悪も、すっかり忘れ去られることこそが成仏するための条件かもしれないと思えては来ないだろうか。
確かに、慕われ、尊敬され、あこがれられる人が忘れ去られることは、寂しく、悲しく、もったいないことのようにも思われるが、それはあくまでも「仮の世」での出来事だったのだと思うことが大切だという気がする。感動的なドラマの主人公が、実は当人の性格とは似も着かない役柄のうえだけのことだということも少なくない。それを役柄の正確と比較して非難されても可愛そうだ。反対に、たとえ当人もすばらしい性格の持ち主であったとしても、役柄はあくまでも役柄であって本人ではない。いくら立派でも永遠に歳を取らない役柄と実在の人物を比べ続けることは残酷だろう。
同様に、故人となった人が、生前の自分のある時期の姿を永遠の者として記憶されたいと願ったり、当人がこの世に未練を残すのはもちろん、故人の近親者や友人が個人を大切に思うあまりいつまでも忘れないというのは、実は成仏を妨げていることになるのではないかという気もしてくる。
そう考えてくると、本人のごく身近な人々の記憶に新しいうちは、ほとんど本人がこの世に未練を残しているかのように思えてくる。生々しく後ろ髪を引かれる思いが残っているのではないだろうか。それが、数年経ち、段々と周囲の人々から忘れられていくというのは、この世への未練が薄くなってきたと考えてもいいのではないだろうか。
仏教ではなく、日本古来の神道では、死者の魂は荒霊と和魂とに分けられると言う。荒魂とは、荒れ狂う霊魂のことである。これは人を呪い、恐ろしい目に遭わせる魂だ。死の直後の魂は、一般に荒魂だと言われている。まだこの世に強い未練が残り、死にたくないという思いが強いのだ。たとえ死にたいと口では言って、人間もうこれで良いとなかなか達観できるものではない。未練は残るのが普通だ。特に不慮の事故で亡くなったり、だまし討ちにされて非業の最期を遂げた人々の未練を、古代の人々は、大地震や台風などの天災や人災に当てはめ、恐れて祭り、沈めようと様々な努力したのだ。実際古代の人々は、死者を葬るにあたって、どんなに親しい人であっても、骨を折り(屈葬)、重い石(墓石)の下に葬ったのである。二度と地上に舞い戻れないようにしたのだ。これに対して和魂は、穏やかに人々を見守り、慈しむ守護神である。これは死後長い年月を経た魂で、毎年正月に訪れ、一族に幸福をもたらす年神様がその代表である。台風で氾濫した河川が甚大な被害をもたらした後、氾濫した河川が上流から運んできた土砂によって、より肥沃な大地として再生されるといったようなことから学んだ教訓のようだ。
和魂は、大掃除で清められた後、門松や迎え火によって各家庭に招かれる。綺麗になった我が家に招かれ、食卓を共に囲んで、楽しいひとときを過ごし、十分にもてなして満足してもらえって、山の彼方にお帰り願うのである。それは祖先を敬うという形式を取りながら、現世を生きる自分たちの生活をただし、節目やけじめを付けているに他ならないだろう。祖先に思いを馳せると言っても会ったこともない人々であり、思い出すことなどできないに違いない。そこでは祖先という名の先達に、見られても聞かれても恥ずかしくない生活に、今一度自分たちの生活ぶりを見直し、立て直すことが求められているのである。祖先を思い出すとは、自分自身を見直し、誰に見られても恥ずかしくない生活をするということに他ならないのだろう。
もっと極端な例を挙げれば、台湾や東南アジアの国の中には、死を祝い、大いに喜び、大騒ぎをする盛大な御祭の中で葬送するという所もあるということである。
いずれにしても、二度殺されるのは一見淋しいことのようでも、決してそうではないし、ある意味ではなるべく早く死者を忘れ去ることが供養になるのかもしれないということだ。