成人式

【目次】1.成人式の現在

       2.成人式の問題点

       3.成人式に類する者

       4.イニシエーションの歴史

1.成人式の現在
 成人を祝う儀礼は古くからあり、男子には元服・褌祝、女子には裳着・結髪などと呼ばれた。文化人類学や民俗学では、こうしたものを通過儀礼(イニシエーション)の一つとして扱っている。
 明治時代から約140年間、日本での成年年齢は20歳と民法で定められていた。この民法が改正され、2022年4月1日から、成年年齢が20歳から18歳に変わった。これによって、2022年4月1日時点で18歳、19歳の者は2022年4月1日に成人となった。また、2022年4月1日以降に18 歳になる者(2004年4月2日以降に生まれた方)は、18歳の誕生日から成人となる。
 日本における今日の形態の成人式は、第二次世界大戦の敗戦間もない1946(昭和21)年11月22日、埼玉県北足立郡蕨町(現:蕨市)において実施された「青年祭」がルーツとなっているとされている。敗戦により虚脱の状態にあった当時、次代を担う青年達に明るい希望を持たせ励ますため、当時の埼玉県蕨町青年団長高橋庄次郎(のち蕨市長)が主唱者となり青年祭を企画した。会場となった蕨第一国民学校(現:蕨市立蕨北小学校)の校庭にテントを張り、青年祭のプログラム「成年式」として行われた。この「成年式」が全国に広まり現在の成人式となったといわれている。蕨市では現在も「成年式」と呼ばれており、1979(昭和54)年の成人の日には市制施行20周年、成人の日制定30周年を記念して同市内の蕨城址公園に「成年式発祥の地」の記念碑が同市によって建立された。
 蕨町の「青年祭」に影響を受けた日本国政府は、2年後の1948(昭和23)年に公布・施行された祝 日法により、「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」の趣旨のもと、翌1949(昭和24)年ら、1月15日を成人の日に指定した。それ以降、ほとんどの地で成人式はこの日に行われるようになった。その後、1998(平成10)年の祝日法改正(ハッピーマンデー制度)に伴って、2000(平成12)年より、成人の日は1月第2月曜日へ移動している。なお、2018年の調査によって名古屋市、また宮崎県東臼杵郡諸塚村も発祥の地を名乗っている。
 2022(令和4)年4月1日に成年が20歳から18歳に引き下げられたが、成人式の対象年齢を引き続き20歳にする自治体と18歳に引き下げる自治体の両方があり、今後変わっていくことにしている自治体もあるようで、少なくとも数年間は地域により様々な形で行われることが続くことになりそうだ。

2.成人式の問題点
 現行の成人式には、数々の問題点が指摘されている。
(1) 成人を何歳とするか
(2) ハッピーマンデー制導入に伴う成人式参加者の区切りに伴う問題
   成人式の参加対象となる成人は、本来は前年の「成人の日」の翌日からその年の「成人の日」ま      でに誕生日を迎える人を祝う日とされている。しかし、誕生日の遅い早生まれの人が他の参加者がほとんど見ず知らずの人になってしまったり、ハッピーマンデー制度によりその年の成人の日は19歳で翌年の成人の日は21歳になるケースがある。
(3) 参加する服装が華美になりすぎる傾向に歯止めがかからないこと
   成人式では単価の高い和服・呉服(特に女性の振袖)を着用する新成人が多いため、和装業界にとって最大の稼ぎ時と見られている。近年、日本人の和服離れが進み呉服店が減少の一途を辿る中で、若者に着物の良さをアピールする数少ない機会となっている。近年では男性が紋付袴などの着物で参加する姿も目立つ。しかし、和服は高価であるため、レンタルや母親からのお下がりで済ませる人も多い。
   また、新成人の着付け・化粧・ヘアメイクなどをする美容業界にとっても、成人式の日は稼ぎ時である。その他、成人式前には、本格的に化粧を始める新成人に対してメイク講習会を行ったりして、自社の化粧品の売り込みを行う化粧品業界の動きがあり、また、式当日に着付けが終わった新成人が記念写真を撮る写真館でも宣伝に力を入れたりと、関連ビジネスの新成人に対する顧客獲得競争は熱を帯びている。
   振袖は現在、女性にとって「成人式の制服」のような伝統となっているが、これは「作られた幻想」で、着物プロデューサーの石崎功によると、第二次世界大戦中に贅沢品が禁じられ、壊滅状態になった着物業界が、昭和30年代(1950年代後半~1960年代前半)に復興策として成人式に着目し、上述の「元服」をヒントに、未婚女性の礼装である振袖を成人式に着てもらおうと、当時の百貨店が中心に動いたことがきっかけだという。現在では約2800億円とみられる和装市場のうち、成人式の振袖関連が700億円程度と重きをなしている。成人式の風習が広がり始めた当初から「女性は振袖」が定着していた訳ではなく、上述の「青年祭」の参加者の服装は、蕨市によると「男性は国民服、女性はもんぺ」だったという。
   一方で、派手な衣装を着用する新成人が多いことで知られる北九州市の成人式において、衣装を注文した新成人らが、「衣装代は支払わなくて良い」との誤った噂を信じ、衣装代を踏み倒すケースが見受けられるようになっており、貸衣装店側が新成人らに相次いで訴訟を起こしている。
(4) 少子化問題
   総務省統計局(2019年12月31日)は、2020年1月における新成人の人口を122万人と推計され、
  総人口に占める割合は10年連続で1%を下回った。成人式ビジネスが少子化に伴い早期の囲い込み  による不具合(倒産など)も起こり、その後の責任を取らずぬ行方不明となるなど大きな社会問題を引  き起こした事もあった。
(5) 18歳で成人を迎えることで生じる混乱
   移行期間の18歳~20歳の取り扱いに矛盾が生じ、市町村のよって違いが生じてし舞うことが実   際に起きている。また18歳が大学受験時期と重なることで参加を躊躇することも考えられる。
(6) 豪雪地帯を中心に地域差による成人式の実施時期の問題
   故郷を離れている新成人が集まりやすい時期の検討が必要とされている。
 成人の日以外での式典開催は、その年のゴールデンウィークやお盆(旧盆)、あるいは正月三が日から松の内に行う市区町村も多い。例えば2017年度の新潟県においては、本来の成人の日である1月8日に実施する事例は全くなく、前日の1月7日が2市(2会場)のみで、残りは3・4・5・8月のいずれかに行われているのが実情である。
(7) 一斉開催に伴う会場施設の不足の問題
   成人式の会場は、たいていの場合、その市区町村内で多くの参加者を収容できる多目的ホールや大型体育館が使用される。しかし、特徴的な開催場所としては地元のテーマパークで開催する自治体もある。例として1998年から2013年までの福岡県北九州市におけるスペースワールド(2018年1月1日午前2時で閉園)での成人式や、2002年以降続けられている千葉県浦安市での東京ディズニーリゾートでの成人式、愛知県安城市のデンパークでの成人式などがある。
(8) 出席者の減少
   もともと成人式は、法律の趣旨にもあるように、一定の年齢に達した青年を行政などが祝福・激し、これに対して参加者が、責任ある自立した社会人としてより良い社会の創造に貢献していくことを決意し、それを広く社会に啓蒙するためのものだった。
   しかし、1970年代に入ると受験戦争の激化による浪人が増え、加えて大学入試センター試験(旧  大学共通第1次学力試験)と日時が重なって出席しなかった新成人も多く見られた。横浜市教委の市  民意識調査では新成人では成人式に「参加した」という回答は74.6%、「参加しなかった」は25.4%  で、20代では「参加した」が 69.9%、「参加しなかった」は30.1%となっている。新成人・20代の  回答では参加した理由としては「一生に一度のことなので、とりあえず参加した」が45%前後で最   も多く、参加しなかった理由としては「仕事や勉強などで時間がなかったから」が新成人18.8%、20  代28.2%で最も多かった。
(9) 参加者のモラルの低下の問題
   箱物行政と言われながら公共事業の予算が増加し続けた1990年後半までに、成人式の式典が充開催できる施設が都市部でも拡充した。しかし、第二次ベビーブーム世代が成人式を迎えた1990年代前半が過ぎると、少子化の影響で成人となる者の数が減少の一途となっていった。1990年代末ともなると、都市部では式典会場の空席が目立つようになった。また、空席の増加により、従来会場内に入らなかったような層が会場内に入れるようになり、それまで会場外で行われていて問題とはならなかったようなことが顕在化してきた。例えば、私語が収まらない、会場内で携帯電話を使う、そして一部では、数人の新成人グループが会場で暴れ回って式を妨害するケースなども見受けられる。公務執行妨害を理由とした事件を中心に逮捕者が出るほどの騒ぎに発展した市町村もある(例、2001年における高松市)。また、成人の日が1月第2月曜日に移った2000年以降は、学齢方式を成人の対象とする自治体がほとんどになったことから、成人式が事実上中学や高校の同窓会的な意味合いで捉えられるようになってきた。
   さらに、式に出席する若者が、外面的には着物で豪華に着飾っていても、会場では久し振りに会った友人との談笑などに熱中する余り、主催する自治体首長などの式辞・講演に関心を示さず、式典が騒がしくなっている。その結果、本来一人前の大人としての決意をすべき場である成人式が、かえって若者のモラル低下を露見させる場となっている。このような現象のことを成人式での七五三現象と言う。21世紀に入っても、各地でこれまでに様々な問題が起きている。
(10)趣旨再定義の立ち遅れ
   2004年3月に横浜市教育委員会が行った市民意識調査によると、元来の趣旨である「新成人が、  大人になったことを自覚するための行事」がほとんどの世代で最も多いものの、参加対象層である未  成年、新成人、20代においては「友達同士が再会する『同窓会』のような行事」が約2割から3割  に及んでいる。ほかに、20代以下の女性においては「スーツや晴れ着を着て、新成人が一堂に会す  る行事」が2割台に及んでおり、開催側のイベントの趣旨設定が、参加対象者層のイベントへの期待  と乖離しつつあることがうかがえる。
(11)独自成人式の開催
   毎年、高等学校卒業者を多く採用する産業で、祝祭日がかき入れ時となる百貨店、スーパー、外食産業などの小売業や鉄道・軌道、観光バスおよび船舶などの運輸業、鉄鋼、化学、繊維、製紙、自動車などの製造業、電力・都市ガスなどでは、事業の性格上交代勤務やシフト勤務が多く、それ故に市町村が行う成人式に参加できない人も多くいる。
   そのため、これらの業種では社内(職場内)で独自に成人式として、いわゆる「社内成人式」を実施する企業もある。これは、成人を祝うと同時に社員意識を向上させるという意味合いがある。代表的なものに、はとバスや名鉄グループ、富士急行などがある。しかし、1990年代以降は不況や大学進学者の増加などで高等学校卒業者を採用しない企業が増えたため、20歳を迎える従業員も減少し、加えてリストラや経費削減も追い打ちをかけ、社内成人式を取り止めた企業も多い。
  逆に、トヨタ自動車のお膝元である豊田市(ほとんどの会場)や、愛知県内のその周辺の一部の市町村では、同社の業務日程(トヨタカレンダー)に合わせて成人式の開催日をずらしている。
   自衛隊や海上保安大学校では基本的に全寮制で、勤務日程が故郷の成人式と重なって出席できない者もおり、各地の駐屯地や基地、海上保安大学校や防衛大学校などの教育施設において、個別に成人式を行っている。陸上自衛隊ではパーキングブレーキを解いたFH70(松山駐屯地)や戦車と綱引きをする(北恵庭駐屯地)など、駐屯地や部隊ごとに特色がある。海上自衛隊の隊員の中でしらせに乗船中だった場合は、南極で成人式を行うこともある。
  このほか、知的障害者更生施設などでは、全寮制の施設においても入所者の成人式を行っている。また、芸能人も上記職業同様祝祭日が書き入れ時となる場合も多いため、芸能事務所単位で成人式を実施するところがある。ジャニーズ事務所では、先輩タレントが立会人を務める中で新成人のメンバーたち(特にジャニーズJr.など)が明治神宮へ参拝する、いわゆる「ジャニーズ成人式」が一時期恒例だった。しかし、2006年以降行われてはいない。AKB48では2020年まで姉妹グループと合同で同様の成人式を開催していた。
  さらに、技能実習生や留学生などの外国出身者の参加も増加している。2020年、宮城県塩竈市で   は、インドネシア語、ベトナム語、英語、やさしい日本語の招待状を送った[7]。2019年度の外国 出身の参加者は全体の約6%で30人だった。
 成人式はさまざまな時期に、開催形式を変えて実施されている。そうした成人式に関する意識調査の結果、高校生・未成年層では成人式に「参加したい」という回答が82.7%、「参加したくない」が17.2%となった。高校生・未成年層の回答において「参加しない理由」は「内容に興味がないから」が36.8%で最も多くなっている。歌手などによるコンサートなどのアトラクションについては、高校生・未成年・新成人において「必要である」とした回答が50%を超えた一方、市長や政治家の来賓等の紹介については、「必要ない」という回答が全ての世代で半数を超え、横浜市の提言書では「式典全体を冗長にし、内容を乏しくする一因となっている」と評している。

3.成人式に類似するもの
 近年では、新成人以外で一定年齢を迎えた者に対してイベントを開催する例も増えている。
(1) 20歳未満を対象にしたもの
  最近では、学校行事や総合的な学習の時間(総合学習)などで、20歳の半分の年齢である10歳(小 学校4年生の時にほとんどの人は迎える)を対象に「1/2成人式」、「十歳式」を開く小学校が全国的に増えている。
  また一部の中学校は中学2年または3年になると学校行事として「立志式」、「立春式」、「少年式」、「元 服式」を行うところがある。これは昔の成人式にあたる元服を迎える時期が現在の中学生の時期にあた るため、その風習を学ぶ意味合いも兼ねている。

(2) 20歳過ぎを対象にしたもの
  被選挙権を得た25歳を祝う第二成人式は、2010年(平成22年)1月11日の「成人の日」に、東京都中野区の中野サンプラザで開催された。
  また、新たに30歳を迎える人への激励・祝福を行うイベントとして、2012年(平成24年)に、三 十路式が、神奈川県川崎市で、30歳の成人式が京都府与謝郡与謝野町で開かれた。地元を離れて疎遠 になった同級生との絆の確認や、地域社会のつながりの強化を狙ったもので、三十路式は、神奈川県平 塚市や北海道、大阪府、新潟市、如水会館、明治記念館など、30歳の成人式は北九州市、
 横浜市、福島県いわき市、福岡市、宮城県塩竈市、ホテルの宴会場などでも開催の動きが広がっている。
  千葉県千葉市では、熊谷俊人市長(現:千葉県知事)と山里亮太(南海キャンディーズ・花見川区出身)が発起人となって、「40歳のW(20歳×2)成人式」が2018年から行われるようになった。

(3) 日本以外での事情 世界の成人式
  その他の国では、日本のように成人年齢に達した事を全国一斉に祝うような祭典を行う国はほとんどない。
  アメリカやカナダでは、スウィート16パーティー (Sweet 16 party)(英語版)が誕生日に行われ、 大人の仲間入りを祝う。主に中間層以上の女子が対象だが、近年は男子でも行う。州によっても異なるが、概ね16歳から自動車が運転できるようになる。アメリカでは、家庭単位で15歳になるとナイフやライフルを親が子に贈って扱い方を教える。
  成人となる年齢は各国で異なるが、成人年齢のデータがある187の国・地域のうち、141の国・地域で成人年齢が18歳(16歳・17歳も含む)である。

(4) 部族等の成年式
  かつて欧州諸国が進出したガンビアやセネガルのマンディンゴ族(マンディンカ)には、カンクラングという成年の儀式が存在する。口承によればコモ(komo)と呼ばれる秘密結社の儀式でもある。
  ザンビアのルバレ族、チョクウェ族、ルチャジ族、ンブンダ族は、8〜12才の男児についてムカン ダと呼ばれる成人式を行っているといわれている。

4.イニシエーションの歴史
 現代的な成人式、さらにそれ以前の古くからある元服などの成人としての承認などよりはるかに古くから「成人式」はあったはずである。それは記録が残されているわけではないが、人間が社会を営んできた以上、それこそその発生と同時の文字もない古い時代から、子どもが大人社会の一員として認めるための儀式や検定のようなものが行われていないはずがない。実際その痕跡は、世界各地に認められている。
 原始的な社会では、大人とこどもは明確に区別されていた。男と女では役割分担がされていが、原則として大人は社会の維持を担った。特に狩猟社会では、獲物を獲得するのに命がけでった。肉食の大型動物を獲物とする際には、文字通り命がけであった。獲物が得られず、長い旅を続けなくてはならないこともあったはずで、寒い時期に獲物を追うのは、動物との戦いだけではなく、寒さや雪崩との戦いでもあったはずである。そうした危険を察知する知恵を持ち、身体を張って目的を成し遂げるのは、知恵や知識の獲得とともに、大変な忍耐力や体力を必要としたことは言うまでもない。それが大人に要求されたことである。それに対して子どもは、養われる存在であった。危険を冒すことなくその集団の中で保護される存在で、基本的に直接危険に遭遇することはなく、保護されていた。しかし、部族内に留まれば、いつも平和で安穏な時期ばかりでないことは言うまでもない。寒さ暑さに加えて、地震や火山の爆発などの天災、さらには洪水や食糧危機も頻繁にあったであろう。他部族との争いが起こり、そこで負けて住居を追われてしまうこともあったに違いありません。そうした災害などの結果、すべての構成員が生き延びることが不可能となってしまうことも起こりうる。そうなった場合には、やむを得ず、働けなくなった老人と幼い子どもなど、労働できるの可能性が少ないものから順に切り捨てないわけにはいかなくなる。そうしなければ全滅してしまうからである。
 老人で既に働き手ではなくなったものは一目瞭然である。平常時なら、過去の働き手として、敬われる存在であったかもしれないが、飢饉の時にはそうも言っておられない。それがかなり時代を遡っても伝説として語り継がれた「姥捨て」ではないかと思われる。幼い者は、飢饉に遭えばたちまちのうちに衰弱してしまう。しかし、幼い者のすべてが衰弱死してしまえば、部族はやがて絶滅する。部族の将来に暗雲が立ちこめる。幼い者達の中の一部は、何とかしてしての命を繋ぐ必要があった。そしてまた幼い者達の食は細く、特に食糧についての負担は少なくて済んだはずである。それに比べて、食糧を多く消費しながら、それでいて稼ぎ手として一人前になれない者がいる。老人と並んで働き手にはならないが、老人以上に食糧を消費する者達である。ねらわれるのはそうした、大きくなりつつも一人前と認められない者達だったはずである。年齢は重ねても、いつまで経っても一人前の大人と認められない、大きな子供の存在である。彼らが危機の際には最初に切り捨てられたに違いないことは想像に難くない。
 既に身体は大きく成長しているにも関わらず、いつまで経っても一人前の大人として認められない者は、普段は、子供同様に危険にさらされることを免れても、危機の時には、不要な存在として、真っ先に切り捨てられることが多かったと想像される。可愛そうではあるけれども、背に腹は替えられないのである。部族の構成員として生まれて、ある年齢になるか、体格に成長した者には、大人として認められるための試験が行われたのではないかと想像される。それが入社式(イニシエーション)である。これがどのようなものであったかの記録は発見されていない。そもそも存在しないかもしれない。
 そうではあっても、何らかの形で、子供がある時期から大人と認められ、子供とは明確に区別された存在になることは、間違いなく存在したはずである。その内容や方法がどのようなものであったかは、はっきりとはしない。ただ、最初は極めて単純なもので会ったが、時代rと共に複雑多様化し、大ごとになっていき、儀式や呪術的な要素なども加わって荘厳なもの、権威あるものとなっていったと想像される。それこそが「学校」の歴史である。
 最初の頃の「入社式」は、極めて単純なものであったと思われる。それは、ごく短時間に行うことができ、合否が誰の目にもはっきりと見分けられるようなものだったはずである。例えばそれの中のひとつに、バンジージャンプがあったのではないかと思われる。
 現在のバンジージャンプは、道具も進歩して、安全性が担保され、周囲の環境も整備されたところで実施されている。それでも、飛び降りるのは相当な恐怖を克服しないではできないものである。
 もともと原始社会の大人にとっては、平常時には動物の狩猟や耕地作りなど、労働するための体力が求められ、同時に危機に瀕した際の、瞬発力、決断力、勇気、そして運などといったものがためされたに違いない。バンジージャンプはそれらを確かめる手段のひとつとして相応しいものだと思われる。もちろん、原始社会のバンジージャンプは、現在のものとは格段に治がっけさらに危険なものだったはずである。伸び縮みするゴムなどは使用されず、蔦などの弦で身体を結んだであろうから、その衝撃たるや並大抵ではなかったはずだ。もしかしたら、綱が切れて落下死してしまうことも少なくなかったかもしれない。何しろものすごい衝撃があったはずで、ほとんどの場合はショックで失神してしまったに違いない。見ている者にとっては、失神した姿と実際に命を落とした姿は、区別できなかったであろう。だとすればそれに挑戦するのは並大抵の勇気ではできなかったはずである。
 それにも拘わらず、勇気を振り絞って挑戦し、運にも味方されて、飛び降りる。その後一度失神してしまい、再び目覚めた時、それを当時の人々は、「子ども」であった自分が死んで、大人として復活した、と考えたのではないだろうか。大人として生まれ変わった者には、部族を養う責任が課されると同時に、危機を乗り越える役割が与えられる。それは取りも直さず、最優先に命を保証されることでもあったのである。それに対して、いつまで経っても挑戦出来ない者は、大人の世界にいつまで経っても入れない、大きな子どもとしてしか認められない存在なのである。それが、いざという時に部族が生き延びるために真っ先に切り捨てられる候補者となったのではないだろうか。子供の中から大人と認められる者を選抜するきっかけとなるのが、最初の学校だと言えるのではないだろうか。当初はそれこそ一瞬の決断と行為によって全課程が修了するものであったが、それが徐々に内容も期間も複雑多岐なものとなっていったのだろうと想像できる。時代とともにより高度で複雑な者が要求されるようになった結果、学校が肥大化していったのである。そこでは、ただ単に勇敢なだけでなく、器用さとか長期間に渡る忍耐強さとか、問題を解決するための知恵や工夫、さらに協力したり他人を説得する力を養うなどといったことがだんだん要求されるようになっていったことが想像できる。それに伴って、たった一回のバンジージャンプだけでは不十分とされるようになり、だんだん大がかりな「入社式」が実施されるようになったものと思われる。たとえば数日間合宿生活を送る中で、擬似的な飢饉を味合わせることを通して、さまざまな力を確かめることができる仕組みを作ることができる。集団生活が、危機を迎えた時期の部族での生活を凝縮して体験させ手、解決能力を確かめようとするものにもつながる。学校の起源となって発展していくには、さらに複雑な歴史うあったはずで、ここではその詳細を辿ることはできないが、親密なつながりがあることは間違いなさそうだ。
 文明が進歩してくるにしたがって、学校が成立する。やや意外な気がしないでもないが、その始まりは小学校ではなく大学の創設だったということだ。もうその頃には、狩猟や栽培といった直接命を長らえるための食糧調達からははるかに進歩した文明が形成されていた。そうして出来上がった文明国家の上流階級である貴族が一人前の生活をするのに必要な知識や経験が授与されるのが、大学であった。当初は常識的であった題額の授業は、年と共に高度になっていく。そこで学ぶどころかそこに入学するためにも相当な予備知識が要求されるようになる。そこで、大学に入学するための予備知識を身につけるために、家庭教師が雇われるようになってくる。それがやがて、各家庭事に行われるのではなく、一定の基準を確保しつつ、効率的に行えるように、集団化していく。そこに出来上がるのが予備校や下級学校(高等学校)である。そしてやがてその予備校や高等学校に入学するために必要とされる準備のためにさらに下部組織として、下級学校が作られていくということになったのである。必要な知識や体験を身につけるために、最終目的は大学で学ぶのだが、その前提として予め身につけておくべきことが増え、その対策として下級学校が整備されていったのである。最終的に身につけるべき事柄が高度化し、増えていったのにつれて、学校は下に下に伸びていったというのがヨーロッパの学校の歴史だというのである。
 こうしてみると、学校は、大人としてその社会で承認されるために必要な心技体全般に渡る事柄が、確かに身についたかどうかを判定する場所として存在したと言えそうである。他方で、学校は最終的な合格を得るための組織としての機能も持たされたということになる。それは、必要とされる能力を身につけるために、苦難を乗り越えさせる性格を、発生当初から持っていたものと言えそうだ。
 現在それを効率的に身につけさせるための強制的な指導方法の可否を巡って、対立が起きている。「体罰」が禁止はされているが、一切の強制的な指導を排する方向に進むべきか、「制裁」や「愛の鞭」だけは承認されるべきかということである。同時に、学校教育の目標が、ある一定の知識や能力を身につけることであるのか、他人とは比較しない自己実現に求めるべきであるのかという点での対立が提起されている。
 あくまでも学校の発生から、未来永劫原初の姿の中枢は変わらないものと考えるならば、資格試験の意味を色濃く持つことになるであろう。その場合は極めて強い強制力を持って目標の達成をめざすように仕向けることとなる。それに対して、今や個人の幸福と自己実現こそが目標とされるように時代は変わったと考えるならば、自己教育こそが教育の目標ということになる。自己教育こそが学校教育が保証すべきものであるとするならば、教育の原初の形から、学校の性格が大きく変わったことになると思われる。ただ、そうした発想は決して今に始まったことではなく、例えば大正自由教育のさまざまな実践や戦後の東井義雄先生の主張にも色濃く見えるものである。
 このことは、人が成人するとはどういうことかという問題とも深く関わっていると言うべきではないだろうか。