「ハーバードで一番人気の国・日本」を読んで

 日本人として、題名からして誇らしいようなくすぐったいような、快い感じにさせられたのは事実である。
 僕は1956年当初に生まれた。「貧乏人は麦を食え」と言われ、「もう戦後ではない」とも言われた時代に生まれ、東京タワーが完成した時にはまだ物心つかず、少年時代には新幹線が開通し、首都高速道路が網の目のように張り巡らされた東京の片隅に生まれた。
 戦後の日本は無条件に何から何まで悪かったと教えられ、当人も「日本的な物」こそ諸悪の根源であるかのように感じて育った。米や魚など栄養価の低いものを食べているから貧弱な体格で、肉食の欧米人には頭でも肉体や体力でもかなわないのだと言われた。長幼の序などと言われるくだらない年功序列の道徳に縛られて自由奔放に過ごせない所に、何をやっても駄目な所が集約されていると感じて過ごしてきた。いちいち靴を脱ぐ生活、握手や抱擁を躊躇する人間関係、それこそ衣食住から道徳に至るまで、何から何まで日本的な物は駄目だと思い込まされてきた。歌でさえも、演歌や民謡など、古くさく、凡庸で忌避すべき物だと思い込んできた。
 それがときをへて、やがて、和食が見直され、スクエヤーガーデンを日本が買収し、日本人のサポーターが試合後に掃除をするというような良識が称えられるようになると、自分のことではないのに、鼻高々な気分にもなったものである。
 僕の受験時代には、東大を目指すのが最高峰で、海外の有名大学であるハーバードだのオックスフォードだのに行こうなどということは考えもしなかった。その夢のまた夢でさえなかったようなハーバード大学で日本が評価されているというのは、極上の甘味をもたらしたと言っても過言ではない。

 もちろん、日本のすべてが賞賛されているわけではない。むしろほんの一部の人や物が取り上げられているに過ぎないのかもしれない。しかし、東日本大震災を初めとする復興は戦後を思い起こさせ、その忍耐力や努力は目を見張る物であったことは間違いない。
 
 確かにハーバード大学は、数々の著名人や成功者を生み出している。それだけでもすごいことだ。実態も中身も知らない僕には、黄金に輝く牙城、それ以上の理想郷にしか見えない。しかし、この本を読み進むうちに、ハーバードとは本当にそれほどすばらしい物なのだろうかという気持ちもわき上がってきた。ちょうど、何もわからずに肉食にあこがれたものの、どこかおかしくはないかという思いもわき上がってきた。まだ肉食が肥満やコレステロールを貯めるといった実害をはっきりさせたほどに明確ではないにしろ、どこかがおかしくはないかという気にさせられたのである。

 ハーバード大学のすばらしい所は、学生が一方的に教えられる立場に安住するのではなく、個人の意見が絶えず求められると言ってもいいほどの状態にあることだと聞いている。課題に対してはっきりと自分の考えを述べる習慣は、課題とされたことではないことにも波及し、人の生き方自体が能動的で積極的であるということのようだ。相当に地頭の良い人々が、不断の努力を重ねた結果なのだから、すばらしくないはずはない。
 しかし、本当に個人で考えることがそれほどすばらしいものなのだろうかという疑問が頭をもたげてきた。それは比喩的に言えば、海外ドラマでやりとりから感じられる。たとえば、医療ドラマの「グッドドクター 名医の条件」では、医師の義務を果たすか、患者の意思を尊重すべきか、未成年者の手術に保護者の同意を不可欠とするかといった類いのことに、それぞれの医師や看護師が意見を対立させる。その内容を聞いていると多少もっともなこともあるにしても、たいていは日本の中学生の言い争いのレベルで、その場の思いつきにすぎず、思わず「少しは考えて発言したらどうか」と思ってしまう。何でも思いついたことを口にせずにはいられないのかと思ってしまう。もちろん、印象ではなく、一つ一つの事例のどこがどうおかしいのかといったことを具体的に示すことなく語ることはできないはずだが、僕の中では毎回のストーリーの中でうんざりするほど繰り返され、いちいち指摘するのも面倒なほど当たり前の出来事になってしまっている。自己主張は激しいけれど、実に幼稚だと感じる。

 今、日本では学校教育の刷新が図られている。これは大学や高校の入試にも影響を及ぼす大がかりなものとなっている。普段の学習に関して最も大きなものの一つに「アクティブラーニング」の導入がある。日本の伝統的な教育が教師から生徒への一方的な講義型の授業であるとするなら、それこそハーバードで展開されているという意見交換型の授業を取り込もうとしているのだろう。
 「アクティブラーニング」という名前自体は目新しいものだが、こうした生徒自身に考えさせ、発言させる学習は、決して目新しいものではない。僕自身が中学生の頃(55年ほど前になります)には、「バズ学習」というのがはやった。「バズ」というのは、勝手にしゃべりまくれとでもいった意味だと教えられた。これは、講義型の授業では、理解できない生徒を「落ちこぼしてしまう」ということがクローズアップされた結果の対応策だった。「何だかわからないことが延々と説明されているのを、黙って聞いている振りをして耐える時間を過ごさなければならない者の身にもなってみろ」とも言われた。「わからなければ質問しろ」といわれても、わからないから黙っているしかない、と言うのが現実だ。受け身の授業は、できてもできなくても消極的な人間を育ててしまう。そこで、グループになって課題に対して、グループ内の全員がそれぞれに意見を持ち、教えあい、反論し合って、ひとりで考えるより優れた答えを見いださせようということを目標にしていた。目標は良かったのだが、結果はそう都合よくはいかなかった。結局はリーダーになる生徒が先導し、大部分の生徒は聞き役や単純な模倣をするだけで終わってしまったのだ。リーダーはそこそこ理解を深め、自分なりの意見を持つこともあったが、講義型の授業に比べて、教師のてこ入れがなく、話し合いの結果を尊重するという名のもとに、出された結論がどんなものであれ放置され、すぐ隣で正反対の結論が出ていても、平気で併記されてしまいかねない状態になることさえあった。この結果、リーダーも含めて、講義型の授業を行っていた時期以上の学力低下が見られたのである。
 そうなると揺り戻しが起こり、「やはりきちんとした学力を付けさせなくてはならない」と、講義型の授業が「改良」されて復活することになる。改良といっても講義型にそれほど大きな進歩があろうはずもない。見かけや目標の文言が大きく変わったように飾り付けられたところで、詰まるところ「配慮する」といった程度のものでしかない。それでもその違いが強調され、以前とは違うのだと、些細な違いに過ぎないものが大変革のようにごり押しされる。「学級指導」は学習指導要領に規定されているが「学級の指導」は別物であるなどといった、訳の分からないことがたいそうなことででもあるかのように、真剣に議論されてるほどである。「の」一文字のあるなしが、全く別物として取り上げられて、自己流に解釈され、その存在意義が強調されるといった具合である。お先棒担ぎの学者や講師がいくら強調したところで、しばらくすると、また生徒の自主性を求める声が上がり、「バズ学習」の欠点をを克服する「話し合い学習」が提案されることになる。今度も一応理屈ではうまくいくように整理されはするが、それが実現などするはずもない。どちらかといえば、生徒の大部分は楽な道を見つけ出してそちらに流れるものだ。「話し合い」か「集中して聞くか」という波が、寄せては返すの繰り返しが行われてきただけなのである。実は、そんな歴史や経験に学ばずにいられる者だけが、時の流行に身を任せ、はしゃいでいられるのではないかとさえ思えてくる。「アクティブラーニング」も、期待されているようだが、ほとんど進歩のない、二番煎じの繰り返しに過ぎない。他人に先んじて新しさを自分の専売特許のように取り込み、ぼろが出ないうちにうまく成果をまとめて我が物とした人の出世の手段になるのがせいぜいではないだろうか。本当に学習者のためになどなりはしないのだ。

 そんなことはない、ハーバードではしっかりした自分の意見を求められ、それに応えているといわれれば、実態を知らない僕には、「ああそうですか」という以外にない。しかし、この本を読み進むうちにおやっと思うことが重なってきた。「小さな違和感」でしかなかった印象が、積み重なると「かなり確かな確信」に変わったように思えてきた。といっても印象の域を出ず、これに時間をかけて吟味したわけでもない。
 それは、どうも日本を褒めてはいるけれど、底が浅いのではないかという違和感だ。最初にあった「ジャパントレック」で感じていた小さな違和感が、再びヒロシマに関する記述である「正戦論」に関する記述に出会って、かなりはっきりした形を持ったような気がした。
 広島を見学した学生達の感想として、「原爆投下は戦争をやめさせるための手段として正しかったと教えられたが、そうとは言えなかった」とか「これほど酷いことをされてなぜアメリカを批判しないのか」という疑問を持ったということが紹介されていた。その上、広島を紹介した日本人のハーバード学生がこんな程度の感想に立ち往生し、アドバイスできないでいる、大人気のジャパントレックで起こっているのがその程度だとしたら、ずいぶんとレベルが低い意見を持っただけなのではなかろうか、と感じたのである。

 僕と同い年の成城学園の中学生の記録がある。既に絶版なのだが、社会評論社刊の「気まぐれ月報」という学級通信をまとめた上下二冊の本だ。彼らは3年生の修学旅行先に広島を選ぶ。実際には担任の相川忠亮先生が誘導したに違いないのだが。たぶん、東京の中学で広島を旅行先に選んだ初めての人々だ。当時は新幹線もなく、京都に行くにも「日の出号」という修学旅行専用の夜行列車で車中泊をしていくのだ。修学旅行は確か72時間以内という決まりがあり、京都なら2泊3日できるが、広島まで行ってしまうと1泊しかできなかったはずだ。それでも彼らは広島を選んだ。そして1年生の時から徹底して広島を学んだ。もちろん担任の相川先生の強力な指導もあってのものだ。
 成城学園といえばお金持ちばかりだったのだろう。その事前学習もスケールが違っていた。さまざまな人々を実際に訪ねたり、招いたりしていた。終いには当時まだ生きていたエノラゲイ号のパイロットや、原爆投下のスイッチを押した軍人までも、旅費を負担してアメリカから呼んで、話を聞いているのだ。原爆投下でたくさんの人々が死んだことについて質問し、「命令が遂行できて安心し、大満足だった」という答えを本人達から聞いて大きなショックを受けている。中には、「人間としてそんな感想は許せない」「原爆投下後の悲惨な状況を知ってもそんな感想が言えるのか」と食い下がる生徒もいた。そうした感想を変えない米兵達に、静かな怒りを感じながらも、その言葉の理由を突き詰めることに成功した生徒が出てくる。米兵が「命令が達成できてほっとした」という陰には、悪天候のために、命令された原爆投下を成し遂げられずに帰るところだった」という意味が込められていたことをあぶり出すのだ。原爆は当初から広島をねらったものではなかったことが、このとき初めて日本人が知ることになったのだ。そして、軍人にとって命令を果たせないことが最大の汚点であるという意識が、投下後にほっとしたと言わせていたのだった。命令をやっと成し遂げたという安堵感が、その時の地上で直後に展開された地獄絵図よりも重要だったということなのだ。そのことが、やがて広島に発った成城学園の生徒に跳ね返ってくることになる。
 担任の先生のアドバイスも受けながら、その後も学習を続け、広島で起こったことを学び続ける。今では有名になったことの中にも、この生徒達が初めて気づいたり見つけたことが、たくさんある。そして数学旅行の初日に、いよいよ原爆記念館の前に揃って立つ。ここに広島の悲劇が集約されていると言ってもいい。ところがその館内に、誰1人として入ることができずに旅館に戻ってくる。そしてその夜、就寝時間というきまりを無視して徹夜で話し合いすることになる。1人1人がなぜ記念館には入れなかったのか、この後どうするかについて、意見を出し合うのだ。明日の午後には帰路に着かなくてはならない。もう一度行くなら明日の午前中が最後のチャンスだ。もう数時間に迫ってきている。記念館に入ることだけが目的ではないにしても、そこを抜きにしたら、今までの3年間の広島学習は何だったのか。
 そこで改めてなぜ記念館には入れなかったのかを突き詰める。最初のうち理由は最初は漠然としていた。「なぜか」「なんとなく」でしかなかったのだ。それが最終的にはかなりはっきりしてくる。そこに展示されたものを見て、「ああこんな程度か」と思ってしまったらどうしようということだったのだ。瓶や金属が溶けたものなど、溶鉱炉などほかで見る機会はある。「あれと同じか」と思ってしまったら、原爆のすごさを味わったことにならないと感じたのだ。それでは、エノラゲイ号の米兵達が、自分の足元の惨状を気にしなかったことと大差ないのではないかと思われたのだ。実は、残されたものというのは、原爆の被害が最も軽かったものに過ぎないからだ。直撃された者は溶けて蒸発して、形を残さなかったのだ。今目の前にあるものを通して、その先にあったはずの、それ以上の被害を想像力を駆使して見ることができなければ、原爆の被害を見たことにはならないのだ。その覚悟ができていないし、それを見る目も養われていないと感じて、まだ入るべきではないと感じたのが、足を踏み入れられなかった原因だったのだ。結論として、まだ広島を見る資格のあるものはいないということに落ち着きそうになった。しかし何ごとであれ完璧に完成するのを待っていては、すべてが先送りされてしまうのではないかという相川先生の指導も加わり、せっかく3年間かけてさまざまな事前学習をしてきた今、やはり見て帰ろうということになる。ありったけの想像力を駆使して見えない原爆の恐ろしさを見てこようと決めるのである。それでも実際に資料館の前で入場を躊躇した人は少なくなかったということだ。
 ハーバードの学生がトウルーマンの正戦論について、どれほどのことを学ぶのか、詳しいことは分からないが、他のアメリカ人よりは多少ましという程度にしか感じられないといったら、不遜だろうか。それでも日本の中学生が、担任の先生と共に築き上げたヒロシマの方がずっと価値ある学習にたどり着いていたように思われる。言い換えると、ハーバードの学習は、案外底の浅いものなのではなかろうかという気がしてしまうのである。

 ハーバードの実態を僕は全く知らない。もちろん当然のことながら、紙面にすべてが記録できるはずがない。そして、読み手である僕の理解力が足りない可能性は大いにある。ハーバードの先生方も、学生達の議論や結論に見事に関わっているのかもしれない。しかし、少なくとも日本の中学、高校で盛んに導入が進められている「アクティブラーニング」では、生徒の話し合いが「尊重」されるという名目で放置される傾向があり、それこそグループによっては正反対の結論を出していても、そこでの議論は生じないままにされてしまっていることも少なくない。ただでさえ講義より話し合いには時間がかかる。グループでの結論をさらに比較討論することなど可能なのだろうか。実現するのだろうか。しかしそれなくして何のための話し合いか。
 「アクティブラーニング」が、ハーバードでは個人がかなり勝手に自分の意見を構築し、それが大いに尊重されて終わっているかのような紹介ではなく、学習活動を目標にむかう異なった意見の対立に対して、いかに切磋琢磨され、相互批判がなされるのかという事の方に力点を置いた紹介がなされることを期待したいと思っている。ハーバードの学生が、自主的に結論を見つけることでもなく、また見つけた結論を後生大事にするだけではなく、厳しい検証にかける面が強調されるといいと思う。その過程こそが紹介してほしいものだ。そうでないと、かつて和食がダメで、肉食の勧めがあったことの裏返しにすぎない日本賞賛があるのではないかと勘ぐってしまう。コレステロールの増大や肥満の蔓延のことなど何も知らずに、肉食礼讃を繰り返したことの単純な裏返しに過ぎない日本礼賛になっていないか。むしろ素人目線に近い形で痛切に異議を唱え、しかもそれが日本を褒めている内容を含んでいたために、教え込まれないことのすばらしさを啓蒙するとしたら、同じ地平での裏返しをしているだけのことにならないだろうか。
 同じ事も見る角度によって違って見える。見たいのは、専門的な分野では内容が難しすぎるのかもしれないが、自分なりの意見を持つことの厳しさ、意見を変えることの潔さといったものの事例が、わかりやすく、それでいてすさまじい厳しさをともなって紹介されるものであってほしいと願っている。日本がすばらしいかどうかは、差し当たり二の次だ。ハーバードで行われていることがすばらしいということが十分に伝わり、そのハーバードで日本が認められたとすれば、そこで初めて日本はすばらしいということができるのではないだろうか。