日本の右傾化の現状(2)

はじめに
 現在日本では、日本と日本人のすばらしさを立てる、自己賛美がはびこっている。そこにいわれている日本人のすばらしさは、概ね間違っているわけではないだろう。清潔であること、礼儀正しいことが述べられ、韓国や中国を中心としたアジア地域の人々との比較が、かなり大袈裟に行われているように見受けられる。
 大きく、インバウンドと呼ばれる旅行者達の振る舞いと、日本の少子化に伴う労働力不足を補う定住者の問題と二わけられるようである。旅行者に関しては、ところ構わず騒ぐ騒々しさやポイ捨てが平然と行われるゴミ問題を中心に、大問題として取り上げられている。それでも、旅行者はほんの数日の滞在が大多数を占めるので、定住者との旧来からの地域住民との軋轢の方が深刻である。ここでも生活習慣の違いがもたらす、分別ゴミの問題や生活時間帯の違いによる騒音の問題が中心となっているようである。
 確かに現在の日本には、言われるような良いところが概ね認められる。清潔であり、忘れ物が届き、親切な振る舞いが数多く見られることは事実である。もちろん詐欺も、強盗も、空き巣も頻発していることの同時に事実であることは見逃せない。それでも諸外国に比べると、相当にましであると言われている。果たしてどの程度の違いがあるのか、旅行者として体験した場合と定住した場合とで違いはないのか、といったことも、本当は慎重に比較すべきであろう。しかし、どちらかというと、日本人に都合の良い比較が為されて、日本人が自画自賛している傾向が高いように思われるが動なのだろうか。
 確かに羽田空港を初めとして、公共機関の清潔さは、目を見張るものがある。しかし、日本が昔から今と同じように清潔で新設であったとは言い難い面を持っていたことは事実である。鉄道や学校、デパートなどといった公共の場のトイレなど、仕えたものではなかったのは、ほんの4,50年前までのことである。旅行者についても「旅の恥はかきすて」という諺が通用していたのである。「地獄の沙汰も金次第」だったとも言われている。やや古く、江戸時代には、江戸の町は「生き馬の目を抜く」とも云われていたのである。
 もちろん環境が清潔になり、人々が親切で穏やかになったのはいいことに違いない。良さは大切にすべきだ。しかし、有史以来変わらずに今のような良さが続いてきたといってしまえば、それは嘘になってしまう。それ以上に、現在の日本と諸外国を比べて、諸外国をおとしめるようなことが目的となっているかのような状態であることは、選民主義としか言えず、価値あるものとは言えないのではなかろうか。
 「日本良い国、強い国、世界に輝く偉い国」というフレーズは、戦前の修身の教科書、小学校2年生用に登場した有名な一節である。この独善的で手前勝手な理想像が、アジアの盟主となって、大東亜共栄圏などを作り上げようという結果をもたらしたのではなかったろうか。独りよがりで他者の価値を認めない姿勢が、他国を平然と侵略し、時には残虐非道の限りを尽くし、最終的には自滅という結果に導かれるだけだと言うことは歴史が証明したと言ってもいいのではないだろうか。それを忘れ去ってしまうことは、危険な右傾化が、堂々と復活してしまう、はっきりとした聴講だと言えるのではないだろうか。

1.遺体も町中に放置され、不潔きわまりなかった市中
 現在の日本人は、間違いなくきれい好きである。若者の間では、むしろ以上と思えるほど清潔や美にこだわっている傾向が見られなくもない。もちろんそれは一概に悪いことではない。しかし、自分の思考が、他者を見下ろしたり見限ったりする理由になってしまうとしたら、問題である。
 当然のことだが、大昔から日本人が清潔であったはずはない。平安時代には、貴族と雖も毎日入浴するなどということはできなかった。豪華な着物も、毎日洗濯するなどということができるはずもなかった。汗まみれだったはずである。それを「香」の匂いでごまかしていたのである。
 貴族であってもそんな状態であるから、庶民は推して知るべしである。生きている人々でさえもそうした状態であって見れば、死者に対しての扱いはもっと悲惨であった。死体をその辺に捨ててしまわないようにという御触書が頻繁に出されたという。当然非常に不潔であり、病原菌も蔓延したに違いない。死者の魂は尊重されることなく、町中にうち捨てられていたようだ。それを集め、取り部などといった土地に集め、風葬や鳥葬にしたり、荼毘に付すようにしたのが空海だったといわれている。
 日本の大多数を占める庶民は、生きていくのが精一杯で死者に対する崇敬の念など、持ちたくても持てなかったのであろう。そのため路上に放置したのだと思われる。それに対して、縄文時代から、埋葬するに当たっては「屈葬」が主流だったといわれている。これは死者に母胎にいる時期の姿勢を取らせることによって再生を期していたとか、この世の未練や恨みを持って復活することを許さないためといった畏怖の念が、そうした姿勢を垂らせた理由ではないかとされている。弥生時代には遺体を真っ直ぐに伸ばす「伸展葬」へと変わっているが、その理由ははっきりとはしていないようだ。
 ちなみに墓石が用いられたのは、墓参の目印としてというよりは、封印の意味で、復活を怖れたという意味が強いようである。もともと「屈葬」字にいたいに意志を抱かせることがあったこと。古事記に登場する伊弉諾が、追いすがる伊弉冉に対して、死の国の出入り口を石で塞いだことに由来し、後には死者の復活を阻止するために重しをおいたという意味が強かったとされている。どうやら日本人にとって「死」は、荘厳なものでも神聖な元でもなかった傾向が見て取れそうである。
 外来宗教である仏教が葬式を担当するのに対して、日本古来の神灯は、死を穢れたものとして遠ざけることもそうした傾向をよく表してはいないだろうか。

2.トイレ事情
 諸外国のトイレ事情は、現在の日本と比べるとかなり不潔で、利用しづらいようである。特に中国の田舎に至っては、現在の日本人にはとても用を足せる環境ではないことが報告されている。しかし、そもそもそうした田舎においては、外国の観光客を迎えるための設備など、端から念頭にないと言うべきだろう。親類縁者、見知った人々の間で利用することしか念頭にないトイレだと言うことも考慮する必要がある。
 時代は流れ近代に向かっていく。日本のトイレ事情は、あまり詳しいことが研究されていないせいもあるが、特別革新的な変化は報告されていないようである。つまり、豪族から貴族の時代になり、武士の時代になるという具合に、支配者が替わり文化や道徳に改変はあっただろうが、大きく変わるのは明治維新を迎えてからだったようである。
 江戸時代に至っても、トイレは特別高貴な家柄を除いて各家庭にはなかった。庶民のトイレは、狭い長屋に併設することはできず、共同便所が設置されていたことに起源があるようだ。いわば公衆トイレとして街角や長屋の一角に置かれて皆で使うものであり、使用中であるかどうかがわかりやすいように、外からほぼ丸見えの状態であったという。女性の場合は、覗かれるのは言うに及ばず、痴漢被害・強姦被害に遭うことも珍しくなかったとされる。悲惨な状態だが、考えてみれば、夜這いが公認されていた日本のことであれば、今考えるほど特別なことではなかったといえるかもしれない。特に女性は、排尿・排便中にその姿を覗かれたくはなかったであろうが、それを完全に防ぐことはできなかったに違いない。見張りを立てたり、それなりの防御策を講じたとしても、たとえば町内で評判の娘の取りレ使用時には、絶えず覗きに悩まされていたであろうことは想像に難くない。想像も含めてであろうが、そうした公衆トイレについての研究解説も、近年進んできているようである。なお、トイレは汲み取り式になっており、その糞尿は農家に肥やしとして払い下げられ、肥料とされたため、その売り上げが大家の大きな収入となっていたと言われている。江戸の大きな川筋には、糞尿を運ぶ舟が盛んに横行していたのである。
 女性の場合は、青空の下というわけではないであろうが、それでも密室化された状態の場所が確保されていたわけではなかった。益して男の排尿・排便は、もっとおおらかなものだったと言うことは想像に難くない。排便はともかく、排尿については、それこそところ構わず出会ったという様子に近いようである。それは、かなり時代を遡った昭和の中頃の様子を振り返っても言えることである。
 昭和の中頃、今から5,60年前になっても、男性が路地裏や壁際で立ち小便をする姿は、都市部でも頻繁に見受けられた。電柱や塀の各所に、鳥居のマークが描かれ、小便無用の文字が連なっていた。それだけところ構わず路上での達得小便が行われていたのである。特に飲み屋街(多くは駅周辺にある)や、夜間の薄暗い路地裏では、公衆トイレが少ないこともあって、立ち小便をするものが絶えなかった。下水道が十分に普及していなかったこともあるが、それ以上に糞尿が肥料とされてきたことから、小便をするものにとっても、地域住民にとっても、罪悪感はあまりなかったと言えそうである。
 都会の町中でさえもそうした状態であった。そのため公衆トイレが悲惨な状態であったことは言うまでもなかった。一般にトイレはコンクリート打ちっ放しで、「臭い・暗い・汚い・(恐い)」という三拍子が揃っていた。清掃が行き届かないどころか、便器の中に糞尿がされず、辺り一面が汚物で汚れ放題となっており、足を踏み入れることなどできかねる状態の所が多かった。正直言って公衆トイレなどは用を足すことができない場所であった。
 トイレ事情が変わったのは1964(昭和39)年の東京オリンピックが誘致された頃から始まり、徐々に改善が図られた。見違えるほどの改善が図られ、さらには諸外国にまで清潔な日本のトイレが其の名を轟かせるようになるには、1985(昭和60)年に、ボランティア阿団体の「日本トイレ協会」の成立を待たなければならなかったとも言われている。特に悪評が高かったのはJRのトイレであり、、デパートのトイレも豪華で清潔な物が作られていった。帰宅するまで我慢するのが普通とされていた学校のトイレも見違えるほど改善された。さらに近年は多目的トイレの充実が図られている。トイレが清潔になるのに閉校して、路上での立ち小便の金刺は、軽犯罪法によって取り締まられるに至っており、時と場合によっては、器物破損罪や公然猥褻罪が適用されるともされている。

3.混浴文化の横行
 トイレ以上に裸体をさらすことになる、風呂についても、各家庭にあることは特別で、たいていは公衆浴場であり、それも男女混浴であった。その名残が、地方の温泉地に混浴として残されている。
 日本の公衆浴場(銭湯)の起源は、6世紀の仏教伝来と共に始まったとされている。食堂、厠、施浴など生活の基本的な場所を七堂伽藍として大切にしたのは禅宗寺院であった。当初は湯につかるのではなく、蒸気で汚れを落とす蒸し風呂が主流であり、そもそも寺院では僧侶と尼僧が基本的には別の寺院で修行したため、混浴などと云う事はあり得なかった。平安時代には貴族の邸宅に「湯殿」が設けられたが、これはお湯を汲んで体を流す行水が中心とされた。鎌倉・室町時代に至ると、客人に入浴の機会を持てなす文化が広まったが、一般庶民の間では、入浴は特別なことではなく、せいぜい行水が関の山であったのではないかと思われる。
 比較的に清潔好きであったと言われる日本人が、頻繁に入浴するようになったのは、江戸時代になってからのようである。江戸時代に「湯屋」が広まったきっかけを作ったのは、1591(天正19)年、江戸鉄瓶橋に伊勢与市だとされている。
 日本人の清潔付きが風呂付きに結びつき、頻繁に入浴する習慣が混浴を生み出したのである。必ずしも頻繁に、どこでも彼処で藻というわけでは内ニしても、当然混浴で男女が一緒に入浴することになれば、性的な問題が皆無と言うことはあり得ない。幼い頃から混浴が当たり前で、馴れてしまった江戸庶民に会っては、見慣れた日常だという面が案外強かったのである。現代実Bが想像するほどには卑猥な現象ではなかったと言われている。
加えて長屋の性に関する開放性も一役買っていたとされる。狭い長屋に暮らし、薄い壁一枚で隣家と隔てられていた長屋は、夫婦の性生活は、近所に筒抜けだったのである。プライバシーは、ほぼゼロである。大人ばかりではなく子供にとっても、大人の性生活は年拾見聞きしている、珍しくも何ともないものであったのだろう。混浴が平然と行われていたことも、こうして子どもの頃から異性の裸を日常的に見ていたことが、特別に強い欲情を誘発しなかった原因であったかもしれない。性行為中の声がうるさくとも、声がうるさいと苦情を言うのではなく、冷やかすようなおおらかな態度を取るのが普通だったとされる。夜這いに起源を持つ強姦まがいの性交や不倫まがいの性交に対してもおおらかなものだったとされている。
 ところがこの混浴に驚いたのが罰末以降に来日した欧米人である。彼らは一様に、決して野蛮な地の果ての未開民族でないことを目の当たりにした。直接目にした日本人は礼儀正しく、勤勉で、好奇心が強く、人情に厚い民族であることに目を見張ったほどであった。ところがその日本人が、お歯黒などと言う不気味な習慣を持っており、それ以上に驚いたことに至る所にある浴場がことごとく混浴なのである。ペリー(ペリー提督日本遠征来)や「ハリス日本滞在記」が有名である。
 なお、江戸幕府も、明治維新後の明治政府も、混浴の廃止は度々混浴の廃止を指示している。1790年代の寛政時代にも幕府は「男女は入り込み禁止令」を出しているし、明治政府に至っては国際社会に仲間入りするに当たっては「日本の恥」とさえ述べている。そうした取り組みについては、イギリスの旅行女性作家イザベラ・バードの「日本奥地紀行」にも記されている。
 しかし、日本の男女混浴は、禁止令の直後に減っても忽ち復活すると言うことを繰り返した。女性専用湯が作られても女湯は混み合ってうるさいと敬遠され、場末の銭湯は狭くて男女別々にわける余裕などなかったため男女別の入浴は日にちを限定することとなったが、それでは清潔好きの日本人を満足させることができず、結局混浴に戻ってしまうのであった。条件が整わないうちにいくら混浴禁止令を出したところで、効果はなかったのである。
 しかし、それでもキリスト教的な制の抑圧を掲げた欧米人の来日によって、長い年月を掛けて、それまでのおおらかな性にまつわる慣習は、不埒なものとして、徐々に一掃されるに至るのである。もっとも混浴は昭和になって物越されていた地域もあり、それどころか今日でも地方にいくとまだ残されているところもあるくらいである。

4.環境汚染や有害物質の排出について
 現在わが国に迷惑な大気汚染の秘帖に挙げられるのが、中国由来の「黄砂」であろう。実に迷惑きわまりない存在とされる。声を第にして真正面から叫ばれることはないが、それだけに中国の杜撰な管理に対する恨み節は深刻で根深いものを持っているように見える。有害物質排出や、温暖化防止のための二酸化炭素排出制限に対する対応も、開発途上国に対する非難は表面上の言動以上に根深いいらだちを秘めているようである。
 しかし、いわゆる先進国の言い分も極めて身勝手なものと言える。たとえば、昭和40年代の小中学校の社会科の教科書には、「霧の都ロンドン」などといった記述が見られた。ここで言う「霧」とは、本当の霧などではなく、煤煙である。有害物質そのものである。しかもその状態が、改善すべきものとしてではなく、最新の工場設備、近代工業科産業の象徴として、言い換えれば羨むべき乃至は賛美すべき進歩の姿として記述されてきたのである。今や環境保全を言い、清潔さを自画自賛している日本もまた、かつては大気汚染、環境汚染の限りを尽くしたと言って言いすぎとは言えない。石炭を燃料とする工場からは大量の黒煙が排出され、空が黒く濁り、洗濯物は真っ黒くなった。工場地帯では視程が30~50m二まで落ち込み、日中でも自動車の走行は、ライトを点灯しなければ危険きわまりない状態であった。工場地帯を中心に亜硫酸ガスなどによる鼻を刺すような刺激臭が充満し、硫黄酸化物を含む煤煙が、四日市喘息を初めとする深刻な呼吸器疾患を全国各地に引き起こしていた。それはやがて光化学スモッグを発生するまでに至る。
 汚染は大気に限られず、水質汚染も深刻かを極めていた。代表的なのが四大公害病(そのうちの一つは先の四日市喘息)とされる水俣病(熊本で、窒素水俣工場による有機水銀の排水による)、新潟水俣病(昭和電工鹿瀬工場による有機水銀の排出による)、イタイイタイ病(富山県の神通川流域の鉱山排水によるカドミウム汚染による)である。工場排水や家庭排水により、河川や海の汚染が進み、ヘドロが各地に見られるといった状態だった。

5.独善性から眼を覚ます必要
 一時期絶賛された羽田空港の徹底した清掃に象徴的なように、日本の清潔さは、確かに目を見張る成果を上げていた。その後それに負けず劣らず清潔と起立に関して日本画諸外国に対して優位性を保っているように見えることは、事実である。
 そしてこれまで見てきたような「遺体の処理」「トイレの不潔さ」「混浴の恥」「環境汚染の酷さ」といったものが、諸外国において今日の日本から酷く後れを取って、許さざるものと移るというのは、聊か偏見と言わざるを得なくはないだろうか。
(1) まず第一に、確かに現在の日本にとって非難すべき状態にある諸外国の実情は、決して好ましいとは言えなくとも、日本もまたかつてはGY十歩百歩だったと言うことを忘れてはならないのではないだろうか。時代がずれているだけで、似たような体験を余儀なくされるとすれば、それは非難の対象ではなく、共に改善すべき課題として、共に歩む姿勢を取ることができるのではないだろうか。非難する敵ではなく、共に歩む友人となるはずである。
(2) 一口に日本の清潔さを記してきたが、実はここに味噌も糞も一緒くたにした態度が見えないだろうか。たとえば、非常識な遺体の処分(放置・投げ捨て)は、畏敬の念がないだけでなく、不衛生でもある。しかし、畏敬の念の示し形は、文化の違いである。それがどのような方法を採るとしても、互いに尊重すべきものである。決して一方が完全に優位に立つと云う事は無い。動用に「混浴」についても、卑猥、助平と言うだけではなく習慣や文化の違いに他ならない。食習慣などについても、自分たちとの違いを単純に残酷などと断罪する子世はできないはずだ。
(3) トイレや大気汚染の酷さについても、必要悪とされた部分を認め合いつつも、共に協力して克服すべき課題とされるべきだろう。
 このように見てくると、今日日本のネット環境などを中心に繰り返されている外国人に対する非難も短絡的な感情論に基づくものがいかに多いかを、改めて冷静に見直すべきだと云う事がはっきりしてくるのではないだろうか。

6.「旅の恥は掻き捨て」の本当の意味
 「旅の恥は掻き捨て」という諺を、現在では「マナー違反や迷惑行為の正当化」として否定的な文脈で捉える人の方が多いように思われる。しかし、この諺の本来の意味は、「旅先では知り合いが誰もいないため、普段なら恥ずかしいと思うような行動や失敗をしても、その場限りで気にしなくてもいい」という意味なのです。
 誤解と真意とがどう違うのかというと、もともとの意味は、「旅慣れていない人が、旅先で恥を掻かなくて済むように慰めている」のである。つまり、「知らなかったことによってその土地の習慣を破ってしまったことという恥や後悔」に対する慰めであったのです。「よそ者のあなたが、その土地の風習について知らなかったのは仕方がないことだ。地域の人と全く違った行動に走ってしまったとしても、それ程気に病み、落ち込むことはない。」といった意味だったのです。旅先で掻いた恥については、あまりにも深刻に、永久に気に病むのではなく、帰宅すれば忘れてしまい、その後の日常生活に、後悔による自信を失うことはない」といった意味だったのです。つまりこのこと技の根底にあるのは、日本人の、相手を思いやる優しさに根ざしたものだったのです。
 そう考えてくると、いわゆるインバウンドといわれる、短期間の外国人旅行者に対してどう考え、どう行動するかも、長期にわたって移住してくる外国人労働者に対しても、日本人としてどうすべきかは、自ずと明らかになってくるはずではないだろうか。少なくとも、ネットなどで、日本人の清潔さ、規律正しさを自画自賛し、外国人の言動を非難して口を極めて陰口をきいていることが、いかに日本人離れしたものであるかは、明白だろう。

おわりに
 今日の日本に右傾化の傾向が顕著であるというのは、表面的な威勢の良さを掲げた排外主義の台頭を指しているだけではない。現在の清潔で、安全で、起立のある世の中は、必ずしもそうとは言えない人々の手によって作り上げられたのである。先人達が、苦労して、血と汗にまみれ泥まみれになって積み上げてきたのである。たとえば、溝鼠呼ばわりされた高度成長期のサラリーマン、汚染の元で犠牲を出しながらも、その恨みをはらさんがために身を挺してきたたくさんの人は、決して清潔でもスマートでもなかったのである。昔から清潔なものが清潔なまま受け継がれてきたというわけでは、決してないのである。そうして作り上げられた価値を、まるで生まれ授かった特権ででもあるかのように、唯で享受し、その利権を守り抜くために自分と違う価値観を頭ごなしに非難するなどということがいかにとんでもない間違いであるかに気づくべきなのである。そうした考え方に目をつぶり、独善的に優越感を持つもののことを「右傾化」と呼んでいるのである。